は悪い病いをはやらせるという噂が立って、江戸の人間はいよいよ異人を嫌うようになりました。中には異人が魔法を使うの、狐を使うの、鼠を放すのと、まことしやかに云い觸らす者もある。麻疹は六月の末からますます激しくなって、七月の七夕《たなばた》も盂蘭盆《うらぼん》もめちゃめちゃでした。なにしろ日本橋の上を通る葬礼《とむらい》の早桶が毎日二百も続いたというのですから、お察しください。
それでも達者で生きている者は、中元の礼を見合わせるわけにも行きません。わたくしの子分の多吉という奴が、七月十一日のゆう方に、本所の番場まで中元の砂糖袋をさげて行って、その帰りに両国の方へむかって大川端をぶらぶら歩いて来る。こんにちとは違って、片側は大川、片側は武家屋敷ばかりで、日が暮れると往来の少ないところです。しかし日が暮れたといっても、まだ薄明るい、殊に多吉は商売柄、夜道をあるくのは馴れているので、平気で横網の河岸《かし》のあたりまで来かかると、向うから二人の男が来るのに逢いました。
見ると、二人は早桶を差荷《さしにな》いでかついでいる。このごろの弔いは珍らしくもないのですが、たれも提灯も持っていない。まだ
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