て、三五郎の顔を見識っているので、すぐに鍵を持って出た。彼は三人を案内して、ハリソンの家内を見せてくれたので、半七と松吉はめずらしそうに見てあるいた。ヘンリーは片言《かたこと》ながらも日本語を話すので、半七は参考のためにいろいろの質問を提出したが、双方の言葉がよく通じないので、要領を得ないことが多かった。
「奉行所から通辞《つうじ》を頼んで来ればよかったな」と、半七は自分の不注意を悔んだ。
ハリソンの部屋で、半七は三脚のある機械を見つけた。彼はそれを指さして訊いた。
「これ、何ですか」
「それ、フォト……。おお、シャシンあります」と、ヘンリーは答えた。
「ははあ、写真か」と、半七はうなずいた。
わが国における写真の歴史を今ここに詳しく説いている暇はないが、安政元年の春頃から我が国にも写真術の伝わっていた事をことわって置きたい。アメリカの船員が我が役人らを撮影し、あわせてその技術を教えたのが嚆矢《こうし》であると云う。その以来、写真術は横浜に広まって、江戸から修業にゆく者もあった。ことし文久二年は、それから八年の後であるから、横浜は勿論、江戸にも写真術をこころ得ている者が相当にあった
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