んというのだ」
「庄吉です。酒はすこし飲むが、別に道楽もない様子で、世間の評判も悪くないそうです。写真の修業のためにハリソンの家《うち》へ出入りをしていることは、仲間内でもみんな知っていて、本人もおれは西洋人について修業しているのだなどと自慢していると云うことです。そこで、親分、どうします。あしたは早々に神奈川へ行ってみますか」
「むむ。コックと雇い女を調べてえのだが、引き挙げられていちゃあちっと面倒だ。ともかくもあしたは神奈川へ行ってみよう。本人は留守でも弟子が残っているだろう」
「じゃあ、あした又出直してまいります」
 それから世間話などをして、三五郎は帰った。あしたは早いからと云うので、今夜は五ツ半(午後九時)頃から蚊帳《かや》にはいったが、あいにくと上州|商人《あきんど》の三人づれが隣り座敷に泊まり合わせて、夜の更けるまで生糸の売り込みの話などを声高《こわだか》にしゃべっているので、半七らは容易に眠られなかった。横浜は江戸よりも涼しいと聞いていたが、残暑の夜はやはり寝苦しかった。
 きょうは盆の十六日、横浜にも藪入りはあると見えて、朝から往来は賑わっていた。三五郎の来るのを待ちかねて、半七と松吉は早々に宿を出ると、きょうも晴れて暑かった。
「藪入りにはおあつれえ向きだが、おれたちには難儀だな」と、松吉は真っ青な空を仰ぎながら云った。
 宮の渡しを越えて、神奈川の宿《しゅく》にゆき着いて、西の町の島田の家をたずねると、思いのほかに早く知れた。東海道から小半町も山手へはいった横町の右側で、畑のなかの一軒家のような茅葺《かやぶき》屋根の小さい家がそれであった。表には型ばかりのあらい垣根を結《ゆ》って、まだ青い鶏頭《けいとう》が五、六本ひょろひょろと伸びているのが眼についた。門の柱には「西洋写真」という大きい看板が掛けてあった。
 門と云っても木戸のような作りで、それを押せばすぐにあいた。
「ごめんなさい」
 三五郎が先ず声をかけると、二十歳《はたち》ばかりの若い男が内から出て来た。
「島田先生はお内ですか」
 男は暫く無言で三五郎の顔をながめていたが、やがて低い声で答えた。
「先生は留守です」
「どちらへお出かけですか」
「江戸へ……」
 入れかわって半七がずっとはいった。
「少しお前さんに訊きたいことがある。わたしらは戸部のお奉行所から来た者です。まあ、縁さきを貸しておくんなさい」
 半七と三五郎は、庭を通って縁さきへ腰をかけた。松吉は裏手へまわって、人の出入りを見張っていた。奉行所から来たと聞いて、男も形をあらためて挨拶した。
「なにか御用でございますか」
「おまえさんは先生のお弟子さんかえ」と、半七は訊《き》いた。
「はい。吾八と申します」
 見たところ、彼は正直そうな、おとなしやかな若者であった。
「先生は江戸へ何しに行ったのですね」
「商売のことで時々江戸へまいります。今度も大方そうだろうと思います」
「ここの家《うち》へお角さんという人が来ますかえ」
 吾八は少し躊躇したが、それでも隠さずに答えた。
「はい」
「先生の親類ですかえ」
 吾八は黙っていた。
「それとも色女かえ」
 半七は笑いながら訊いた。吾八はやはり黙っていた。
「お角は始終ここの家に寝泊まりしているのですか」
「いいえ、時によると半月ぐらい泊まっていることもありますが……」
「先生は異人館のハリソンのところへ、始終出這入りをしているそうですね」
「はい。毎月五、六度ぐらいは参ります」
「お角もハリソンの家《うち》に行ったことがありますかえ」
 吾八はまた黙ってしまった。
「おまえさん、正直そうな顔をしていながら、お角のことを訊くと、はっきり云わねえのはどういうわけだね」と、半七は又笑った。「先生はお角を異人館へ連れて行って、蟹のほり物を裸で写させたろう。わたしはその写真を見て来たのだ」
 吾八はやはり黙っていた。
「おまえさんは知らねえかえ」
「知りません」と、吾八は小声で答えた。
「お角は今どこにいるね」
「知りません」
「先生と一緒に江戸へ行ったのじゃあねえかね」
「知りません」
「おまえさんは先生が江戸で殺されたのを知っているかえ」
「え」と、吾八は驚いたように相手の顔をみあげた。「それは本当ですか」
「むむ。早桶へ入れたままで大川へほうり込まれた。その額には犬という字が書いてあったよ」
「犬……」と、彼は更に顔の色を変えた。
 半七は手をのばして、吾八の腕をつかんだ。
「さあ、正直にいえ。犬がどうした。犬と聞いて、貴様の顔色の変ったのがおかしいぞ。ハリソンの洋犬《カメ》は貴様たちが殺したのか」
 それには答えずに、吾八は声をふるわせて叫んだ。
「お願いでございます。先生のかたきを取ってください」
「そのかたきをとってやろうと思って、わざわ
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