であった。女は肌に一糸を着けない赤裸で、その右ひだりの胸と右ひだりの腕に蟹を彫っていた。
「おい、松。不思議なところで不思議な人に逢ったな」と、半七は小声で云った。
「むむう」と、松吉はうなるように溜め息をついていた。
 四五十枚の写真全部をあらためたなかで、獲物《えもの》はシマダの写真と、女の裸体写真の二枚に過ぎなかったが、これは意外な獲物であると半七は思った。彼はヘンリーに頼んで、その二枚の写真を借りて来ることにした。
「その女、シマダさんの親類あります」と、ヘンリーは教えた。「わたくし、この人、ドロボウと間違えました。わたくし、悪いことしました」
「団子坂でこの女に逢いましたか」と、半七は訊いた。
「そうです、そうです。ダンゴ坂……。わたくし、その女、ドロボウと間違えました。日本の人、みな怒りました。ハリソンさん、アグネスさん、わたくし……みな殺されそうになりました」
 ヘンリーの説明によれば、その女はシマダの紹介で、ハリソン方へ出入りすることになったのである。女のからだに珍らしい彫り物があるので、ハリソンは無理に頼んで撮影させて貰って、その報酬としてたくさんの金を彼女にあたえた。彼女もシマダと同じく神奈川に住んでいるとのことであるが、やはり其の居どころを知らないとヘンリーは云った。
 もうこの上に探索の仕様もないので、半七はヘンリーに別れてここを出た。出るとき庭を一巡すると、アグネスの死体はここに横たわっていたとヘンリーが指さして教えた。そこは庭の片隅で、大きい椿が緑の蔭を作っていた。半七はそこらを隈なく見まわしたが、別に眼につくような物もなかった。
「親分、妙な写真を見つけましたね」と、三五郎はあるきながら云った。
「これは蟹のお角という女だ」と、半七はふところから写真を出して見せた。「こいつがハリソンの家《うち》へ出入りしていようとは思わなかった。こんな奴が出這入りをして、素っ裸の写真なんぞを撮《と》らせるようじゃあ、まだほかに何をしているか判らねえ。この一件にはお角が係り合っているらしい。それからシマダという奴……。多分、島に田を書くのだろう。こいつも何かの係り合いがありそうだ。おれは死骸を見ねえから、確かなことは云えねえが、ひたいに犬という字を書かれて大川へほうり込まれたのは、この島田という奴かも知れねえ」
「ハリソンの犬をむごく殺した奴は誰でしょうね」
「相手は犬だ、何もそんなにむごたらしく殺すにゃ当らねえ。何かその犬によっぽどの恨みがあると見える」と、半七は云った。「犬をなぶり殺しにした上に、島田の額には犬と書く……。この一件には犬が絡《から》んでいるに相違ねえが……」
「去年の団子坂は狐使いでしたが、今度は犬ですね」と、松吉は口を出した。「四国にゃあ犬神使いというのがあるそうだが、そんな者が横浜まで出て来やあしますめえ」
「まあ、黙って、少し考えさせてくれ」
 もう午後に近い初秋の暑い日に照りつけられながら、半七は港の町をぶらぶらと歩いて帰った。

     四

「さあ、これからだ」と、半七はやがて途中で立ちどまった。「島田もお角も神奈川とばかりで、その居どころが判らねえじゃあ少し困る。横浜には島田のほかにも、写真を始めている奴があるだろう。それに訊いたら判りそうなものだが……」
「そうです、そうです」と、三五郎はうなずいた。「横浜にも此の頃は写真を撮る奴が二、三人いる筈です。誰かに訊けば判るでしょう。この暑いのに大勢が駈けまわる事はありません。これは土地っ子のわっしに任せて、おまえさん達はいつもの上州屋で涼んでいて下さい」
 上州屋は去年もおととしも泊まったことがあるので、半七と松吉はここの二階で休息することにして、三五郎と一緒に午飯を食った。
「まあ、横になって昼寝でもしておいでなせえ。夕方までには帰って来ます」
 三五郎は箸をおくとすぐに出て行ったが、ゆう七ツ半(午後五時)頃に、汗をふきながら戻って来た。彼は威勢よく階子《はしご》を駈けあがって、半七らの座敷に顔を出した。
「いま帰りました」
「やあ、御苦労」と、半七は団扇《うちわ》の手をやすめた。「どうだ、判ったか」
「わかりました。最初に大泉という奴をたずねると、こいつは近ごろ来た人間で、島田のことはよく知らねえと云うのです。それから橋本という奴のところへ行くと、これは大抵のことを知っていました。橋本の話によると、島田は長崎の生まれで、年頃は二十八九、江戸にも二、三年いたことがあるそうですが、おととし頃から横浜へ来て写真を始めたのです。去年の火事に焼けてから神奈川の本宿《ほんじゅく》へ引っ込んで、西の町に住んでいるそうですが、女房子《にょうぼこ》のない独り者で、吾八という若けえ弟子と二人っきりで男世帯を張っていると云うことです」
「島田の名はな
前へ 次へ
全12ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング