た。理窟のようでもあり、不理窟のようでもあり、仲裁人らもその処置に困って、結局三百両というところまで交渉を進めたが、次右衛門は断じて譲らなかった。
 仲裁者もあぐねて手をひこうとする時、次右衛門は白髪《しらが》まじりの鬢《びん》の毛をふるわせて云った。
「次兵衛は現在の兄を追い出して、家督を乗っ取った奴だ。その上に、兄の娘を十五の春から十九の秋まで無給金同様に追い使って、挙げ句の果てに殺してしまって、老後の兄を路頭に迷わせる。おれももう堪忍袋の緒が切れた。おととしは女房に死なれ、ことしは娘に死なれ、自分ひとり生き残ったところでなんの楽しみもねえ。命はいつでも投げ出す覚悟だ」
 次兵衛を殺して自分も死ぬといったような、一種の威嚇《おどかし》である。よもやとは思うものの、仲裁人らもなんだか薄気味悪くなって、そのままに手を引くことも出来なくなった。こうして、同じ押し問答を幾日も送るうちに、九月も十日を過ぎて、ここに又一つの騒ぎがおこった。関口屋の裏長屋に住む笊屋六兵衛の女房が頓死したのである。
 まだ宵のことで、亭主の六兵衛は不在であった。女房が突然にきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と悲鳴をあげ
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