。いや、その唐人飴のなかにもいろいろの奴がありまして……」
 そら来たと、わたしは思わず居住《いずま》いを直すと、老人はにやにやと笑い出した。
「うっかりと口をすべらせた以上、どうであなたの地獄耳が聞き逃す筈はありません。話しますよ。まあ、ゆっくりとお聴きください」
 有名の和蘭《おらんだ》医師高野長英が姓名を変じて青山百人|町《まち》(現今の南町六丁目)にひそみ、捕吏《とりかた》にかこまれて自殺したのは、嘉永三年十月の晦日《みそか》である。その翌年の四月、この「半七捕物帳」で云えば、かの『大森の鶏』の一件から三月の後、青山百人町を中心として、さらに新しい事件が出来《しゅったい》した。
 江戸の地図を見れば判るが、青山には久保|町《ちょう》という町があった。明治以後は青山北町四丁目に編入されてしまったが、江戸時代には緑町、山尻町などに接続して、武家屋敷のあいだに町屋《まちや》の一郭をなしていたのである。久保町には高徳寺という浄土宗の寺があって、そこには芝居や講談でおなじみの河内山《こうちやま》宗春《そうしゅん》の墓がある。その高徳寺にならんで熊野|権現《ごんげん》の社《やしろ》があるの
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