で、それに通ずる横町を俗に御熊野横町と呼んでいた。
御熊野横町の名は昔から呼び習わしていたのであるが、近年は更に羅生門横町という綽《あだ》名が出来た。よし原に羅生門河岸《らしょうもんがし》の名はあるが、青山にも羅生門が出来たのである。その由来を説明すると長くなるが、要するに嘉永二年と三年との二年間に、毎年一度ずつここに刃傷沙汰《にんじょうざた》があって、二度ながら其の被害者は片腕を斬り落とされたのである。江戸時代でも腕を斬り落とされるのは珍らしい。それが不思議にも二年つづいたので、渡辺綱が鬼の腕を斬ったのから思い寄せて、誰が云い出したとも無しに羅生門横町の名が生まれたのである。
この久保町、緑町、百人町のあたりへ、去年の夏の末頃から彼《か》の唐人飴を売る男が来た。ここらには珍らしいので相当の商売になっているらしかったが、これを誰が云い出したか知らず、あの飴屋は唯の飴屋でなく、実は公儀の隠密であるという噂が立った。そのうちに高野長英の捕物一件が出来《しゅったい》して、長英は短刀を以って捕手《とりて》の一人を刺し殺し、更に一人に傷を負わせ、自分も咽喉《のど》を突いて自殺するという大活劇
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