ある。師匠の小三と折り合いが悪くて、結局無断で飛びだしたのか。或いは別に仔細があるのか。常磐津の文字吉はいっさい無関係であるのか。雇い婆のお金は照之助兄弟の母である以上、この事件に無関係であるとは思われない。それらの秘密がはっきりしたあかつきでなければ、半七も迂濶に手を入れることが出来なかった。
「なにぶん場所が悪い」と、半七はつぶやいた。
 町方の半七らに取っては、まったく場所が悪いのである。この事件の関係者は多く寺門前に住んでいる。現にこの芝居小屋も寺内にある。寺内は勿論、寺門前の町屋《まちや》はすべて寺社方の支配に属しているのであるから、町奉行所付きの者が、むやみに手を入れると支配違いの面倒がおこる。十分の証拠を挙げて、町奉行所から寺社奉行に報告し、その諒解を得た上でなければ、町方の者が自由に活動することを許されない。それを付け目にして、寺門前には法網をくぐる者が往々ある。その欠陥を承知していながら、先例を重んずる幕府の習慣として、江戸を終るまであらためられなかった。
 庄太の戻って来るのを待つあいだ、三人が寺門前に突っ立ってもいられないので、源次だけをそこに残して、半七と亀吉は
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