いるような老人であるのも、そこに移り行く世のすがたが思われて、一種の哀愁を誘い出さぬでもない。
 その飴売りのまだ相当に繁昌している明治時代の三月の末、麹町の山王山《さんのうさん》の桜がやがて咲き出しそうな、うららかに晴れた日の朝である。わたしは例のごとく半七老人をたずねようとして、赤坂の通りをぶらぶら歩いてゆくと、路ばたには飴屋の屋台を取りまいて二、三人の子どもが立っている。
 それは其の頃の往来にしばしば見る風景の一つで、別に珍らしいことでも無かったが、近づくにしたがって私に少しく不思議を感じさせたのは、ひとりの老人がその店の前に突っ立って、飴売りの男と頻りに話し込んでいることであった。彼は半七老人で、あさ湯帰りらしい濡れ手拭をぶら下げながら、暖い朝日のひかりに半面を照らさせていた。
 半七老人と飴細工、それが不調和の対照とも見えなかったが、平生《へいぜい》から相当に他人《ひと》のアラを云うこの老人としては、朝っぱらから飴屋の店を覗いているなどは、いささか年甲斐のないようにも思われた。この老人を嚇《おど》すというほどの悪意でもなかったが、わたしは幾らか足音を忍ばせるように近寄って、
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