なんだか気味が悪いと云うので、文字吉は明くる朝、それを羅生門横町へ捨てに行ったのです。女の浅はかと云うのでしょうか、実に詰まらない事をしたもので……。捨てたは捨てたが、又なんだか気が咎《とが》めるので、自分がそこで初めて見付けたように騒ぎ立てて、豆腐屋へ駈け込んだと云うわけです。自分が見付けたように騒ぎ立てるのは、世間によくあることで、誰の知恵も同じものだと見えます」
「そのかたき討ちに、照之助が角兵衛の腕を斬ったんですね」
「照之助は兄思いの人間で、それを知るとたいへんに口惜しがって、その意趣返しに角兵衛の腕を斬ってやろうと思い込んで、どこからか刀を買って来ました。自分は年が若い、相手は頑丈の大男ですから、善光寺の仁王さまを拝んで、十人力を授かるように祈って、角兵衛の出入りを付け狙っていると、そんな事とは夢にも知らずに、角兵衛は十二日の夜の五ツ頃(午後八時)に権田原の方へ出かけた。そこを待ち受けて斬り付けたんですが、人間の一心は恐ろしいもので、兄きと丁度同じように、角兵衛の片腕を斬り落としてしまいました。
 角兵衛は倒れる。照之助は落ちている片腕を拾って逃げました。万事が兄きの通りにしなければ気が済まないので、照之助はかねて用意の唐人の筒袖……楽屋の衣裳の袖を切って来たんです。それを角兵衛の腕に着せて、例の羅生門横町へ捨てて置いて、これで先ず立派にかたき討ちを仕遂げたつもりで立ち去りました。
 これは後に判ったことで、坂東小三もそんなことまでは知りません。自分の弟子の小三津を文字吉が隠したと思って、その掛け合いに行っているところへ、丁度わたくし達が行き合わせたんです。小三の話を聞いて、文字吉の正体も判りましたから、小三を連れて引っ返して、無理に文字吉の家へ踏み込むと、奥の四畳半に岩蔵が寝ていました」
「文字吉はどうしました」
「文字吉は二階にいました」と、老人はその光景を思い泛かべるように顔をしかめた。「ちらし髪で、真っ蒼な顔をして、まるで幽霊のような姿で、だらし無く坐っていました。なにを訊《き》いても碌に返事をしない。戸棚の中がおかしいので、念のために明けてみると、そこに若い女役者の死骸がある。小三津が絞め殺されているんです」
「文字吉が殺したんですか」
「勿論、文字吉の仕業《しわざ》です。前にも云う通り、文字吉には女の関係者がたくさんあるんですが、こういう女に
前へ 次へ
全26ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング