るから、こいつをやるがよかろうと云うことになったんです。岩蔵もよろしいと引き受けました。これも少し変った奴で、楽屋で一杯飲んだ勢いで、舞台の唐人衣裳を着たままで原宿の弥兵衛の家《うち》へ出かけると、弥兵衛はなにか急用があって表へ出たあとで、子分の角兵衛という奴が親分気取りで掛け合いを始めました。
ここで親分が掛け合ったら、なんとかおだやかに納まったかも知れませんが、唐人のままで押し掛けて来た岩蔵をみて、人を馬鹿にしやあがると角兵衛はむっ[#「むっ」に傍点]とした。岩蔵は又、角兵衛の奴めが親分顔をして威張りゃがると思って、これもむっ[#「むっ」に傍点]とした。そんなわけですから、この掛け合いも所詮《しょせん》無事には済みません。双方が次第に云い募って、角兵衛が『貴様も小屋の代人で出て来たからは、どうして俺たちの顔を立てるか、その覚悟はあるだろう』と云うと、岩蔵の方でも『知れたことだ、おれの首でもやる』と売り言葉に買い言葉、根が乱暴な連中だから堪まりません。角兵衛は『手めえの首なんぞ貰っても仕様がねえ。これから稼業が出来ねえように腕をよこせ』と云って、ほかの子分に出刃庖丁を持って来させました」
「腕を斬ったんですか」と、わたしもその乱暴におどろかされた。
「さあ、野郎、斬るぞと云って、角兵衛の方じゃあ少しは嚇かしの気味もあったのでしょうが、岩蔵はびくともしない。さあ、すっぱり[#「すっぱり」に傍点]やってくれと、左の腕をまくって出した。もう行きがかりで後へは引かれず、とうとう岩蔵の腕を斬ってしまったんです。そこへ親分の弥兵衛が帰って来て、さすがに驚いたが、今さら仕方がない。腕の喜三郎の芝居をそのままという始末。取りあえず近所の心やすい医者を呼んで手当てをしたが、これは外科でないから本当の療治は出来ない。まあいい加減なことをして、おふくろのお金を呼んで引き渡すと、お金はそれを自分の奉公さきへ連れ込んで養生させることにしました。
そんな物を担《かつ》ぎ込まれては、文字吉の家《うち》でも迷惑ですが、それを忌《いや》とも云われないのは、例の男女さんの秘密をお金に握られている為です。そこで怪我人を引き取ったのはいいが、斬られた腕も一緒に送って来たので、その始末に困った。羅生門の鬼の腕とは違って、もとの通りに継《つ》ぐわけには行かない。いっそ庭の隅へでも埋めてしまえばいいのに、
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