かなかの曲物で、何もかも承知の上でやった仕事に相違ねえ。お此という入墨者はどんな奴だか忘れてしまったが、そいつに心あたりがあるなら早く挙げてしまえ」
「承知しました」
 半七は請け合って帰った。事件はいよいよ複雑になって来たのである。しかもそれらの事件はすべて同一の系統であるらしいと、半七は鑑定した。次から次へと湧いて来る事件も、そのみなもとを探り当てれば自然にすらすらと解決するように思われたので、彼は専ら熊蔵と松吉の報告を待っていた。
 あくる日の早朝に、熊蔵が先ず来た。松吉もつづいて来た。二人の報告を綜合すると、入墨者のお此は江戸へ舞い戻って、浜川の塩煎餅屋の二階に住んでいる。彼女は小間物類の箱をさげて、品川の女郎屋へ出商《であきな》いに廻っている。浜川や鮫洲の茶屋へも廻って、そこらの女中たちにも商いをしている。店の忙がしいときには、女中の手伝いに頼まれて行くこともある。そんなことで女ひとりの暮らしには不自由も無いらしく、身なりも小綺麗にしていると云うのであった。
「お此は商売の小間物を日本橋の問屋へ仕入れに行くと云って、ときどき江戸辺へ出かけるそうです」と、熊蔵は云った。
「現にきのうも朝から出て行ったと云いますから、三島屋の一件は彼女《あれ》に相違ありませんよ」
「それから坂井屋のお糸の一件ですがねえ」と、松吉が入れ代って話し出した。「お糸は先月の二十八日の宵から何処《どっ》かへ影を隠してしまったそうです。建具屋のせがれの伊之助を詮議すると、職人のくせに意気地のねえ野郎で、無闇におどおどしていて埒が明かねえのを、さんざん嚇し付けて白状させましたが、やっぱりお糸にかかり合いがあったのです。そこで、当人はいい色男ぶっていると、お糸は伊之助にだんまりで姿をかくしたので、色男も器量を下げてぼんやりしている……。いや、大笑いです。お糸の相手は誰か判らねえが、黒船のマドロスにだまされて、船へでも引っ張り込まれたのじゃあねえかという噂です。小伊勢の巳之助が狐と間違えてお糸の咽喉を絞めたときに、暗やみから出て来て巳之助をなぐり付けた奴は、そのマドロスかも知れませんよ。こうなると、わっしの方はもう種切れで、この上にどうにも仕様が無いようですが……。親分、どうしますかね」
「お此は鮫洲の茶屋へも手伝いに行くそうだが、坂井屋へも出這入りをするのだろうな」と、半七は熊蔵に訊《き》いた。
「出這入りをする処か、坂井屋へは黒船の異人が大勢あつまって来て金《かね》ビラを切るので、お此は商売をそっちのけにして、この頃は毎日のように這入り込んでいるそうです」と、熊蔵は答えた。
「そうすると、お糸とも懇意だろう」と、半七は云った。「お糸の駈け落ちにもお此が係り合っているのじゃあねえか」
「そうかも知れません。ともかくもお此を挙げてしまいましょうか」
「熊谷の旦那からもお指図があったのだ。女ひとりに大勢が出張るほどの事もあるめえが、もし仕損じて高飛びでもされると、旦那のお目玉だ。おれも一緒に行くとしよう」
 きょうも幸いに晴れていた。三人は揃って神田の家を出た。

     五

 三人が品川の宿《しゅく》へはいると、往来で三十前後の男に逢った。それが女郎屋の妓夫《ぎゆう》であることは一見して知られた。彼は熊蔵に挨拶した。
「きょうもお出かけですか」
「むむ。親分も一緒だ」と、熊蔵は云った。
 親分と聞いて、彼は俄かに形をあらためて半七に会釈《えしゃく》した。熊蔵の紹介によると、彼はここの不二屋に勤めている権七というもので、お此が浜川に住んでいることは彼の口から洩らされたのである。半七も会釈した。
「おめえはいいことを教えてくれたそうだ。まあ、何分たのむぜ」
「いっこうお役に立ちませんで……」と、権七は再び頭を下げた。「お此はさっきここを通りましたよ。江戸辺へ行ったのでしょう」
「そうか」
 半七は少し失望した。お此はきょうも江戸辺へ仕事に行ったのかも知れない。さりとて、今更むなしく引っ返すわけにも行かないので、権七に別れて三人は浜川へむかった。
「お此が留守じゃあ困りましたね」と、熊蔵はあるきながら云った。
「まあ、いい。おれに考えがある」と、半七は答えた。「建具屋の伊之助というのは何処だ。案内してくれ」
「ようがす」
 松吉は先に立ってゆくと、かの丸子の店から遠くないところに小さい建具屋が見いだされた。松吉の説明によると、親父の和助は中気のような工合《ぐあい》でぶらぶらしているので、店の仕事は伜の伊之助と小僧ひとりが引き受けているというのである。勿論、貸家|普請《ぶしん》の建具ぐらいの仕事が精々と思われるような店付きであった。表から覗くと、伊之助は小僧を相手に、安物の格子戸を削っていた。松吉は声をかけた。
「おい、伊之。親分がおめえに用がある。三河町の
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