ん》は親の罰であろうと、彼は自身番でさんざんに膏《あぶら》をしぼられて帰った。
 それを聞いて、半七はおかしくもあり、可哀そうでもあった。
「それから、ここの店へドルを両替えに来た女があったと云うが、本当かえ」
「十日ほど前の夕がたに来ました。しかし手前どもでは外国のドルの両替えは致さないからと云って断わりました」と、店の者は答えた。
「それがきょうの女とおなじ奴かえ」
「さあ、それがよく判りませんので……。前に来たときは夕方で、断わるとすぐに帰ってしまったもんですから、その顔をよく見覚えて居りません。きょうの女は三十七八で、色のあさ黒い、眼の強《きつ》い女でした。どこか似ているようにも思うのですが、確かな証拠もございませんので、なんとも申し上げかねます」
「おなじ店へ二度とは来めえと思うが、その女がもし立ちまわったらば、すぐに自身番へ届けてくれ」
 店の者に云い置いて、半七は更に愛宕下《あたごした》の藪の湯をたずねた。藪の湯は女房が商売をしていて、その亭主の熊蔵は半七の子分である。そこで熊蔵の通称を湯屋熊といい、一名を法螺熊ということはかつて紹介した。その湯屋熊をたずねると、彼はあたかも居合わせて表二階へ案内した。
「丁度だれも来ていねえようです」
 二階番の女を下へ追いやって、二人は差しむかいになった。
「そこで、親分。なにか御用ですか」
「お此《この》はこのごろどうしている」
「お此……。入墨者ですか」
「そうだ。片門前《かたもんぜん》に巣を食っていた奴だ」
「女のくせに草鞋《わらじ》をはきゃあがって、甲府から郡内の方をうろ付いて、それから相州の厚木の方へ流れ込んで、去年の秋頃から江戸辺へ舞い戻っていますよ」
「馬鹿にくわしいな。例の法螺熊じゃあねえか」
「いや、大丈夫ですよ。わっしだって商売だから、入墨者の出入りぐれえは心得ています。あいつ、又なにかやりましたか」
「どうもお此らしい。実はきょう午前《ひるまえ》に、田町の両替屋で悪さをしやあがった」
 三島屋の一件を聞かされて、熊蔵は眼を丸くした。
「ちげえねえ。あいつだ、あいつだ。お此という奴は、前にも一度その手を用いた事があります。あいつは此の頃、鮫洲の茶屋に出這入りしているとかいう噂だったが、田町の方へ乗り込んで来やあがったかな。おれの縄張り近所へ羽《はね》を伸《の》して来やあがると、只は置かねえぞ。ねえ、親分。松の野郎を出し抜くわけじゃあねえが、この一件はどうぞわっしに任せておくんなせえ。わっしがきっと埒をあけて見せます」
「お此は鮫洲の茶屋にいるのか」と、半七は少し考えていた。「その茶屋は坂井屋というのじゃあねえか」
「そこまでは突き留めていませんが……。なに、そりゃあすぐに判りますよ」
「出し抜くも出し抜かねえもねえ。松はもう鮫洲へ出張っているのだ」
「そりゃあいけねえ。下手に荒らされると、こっちの仕事が仕難《しにく》くなる。じゃあ御免なせえ。わっしもすぐに出かけます」
 気の早い熊蔵は早々に身支度をして飛び出した。女房に茶を出されて、世間話を二つ三つして、半七もつづいて出た。もうこの上は松吉と熊蔵の報告を待つほかは無いので、彼はそれから八丁堀へまわって、熊谷八十八の屋敷へ再び顔を出すと、熊谷はもう奉行所から帰っていた。
「やあ、御苦労。何かちっとは星が付いたか」と、熊谷は待ちかねたように訊いた。
「まだ御返事をする段には行きませんが、ちっとばかり手がかりは出来たようです」
 きょうの探索の結果を聞かされて、熊谷は一々うなずいていたが、かの三島屋の話を聞くと、彼はいよいよ熱心に耳を傾けていた。
「じゃあ、三島屋へも外国のドルを両替えに行った奴があるのか。実は半七、奉行所の方へもこういう訴えが出たのだ」
 おとといから昨日《きのう》へかけて、日本橋で二軒、京橋で一軒の大きい両替屋へ外国のドルを両替えに来た者がある。全体の金高は十二三両であるが、あとで調べてみると其の三分の二は贋金《にせがね》である。最初の見せ金には本物を見せて油断させ、それから贋金をまぜて出すのである。つまりは本物と贋物とをまぜて使うのであるが、しょせんは一種の贋金使いであることは云うまでもない。贋金づかいは磔刑《はりつけ》の重罪であるから、その詮議は厳重である。その両替えに行った者はいずれも三十七八の女であると云えば、三島屋へ云ったのも同じ者であるに相違ない。こうなると、狐の探索などは二の次で、贋金づかいの探索が大事であると、熊谷は云った。
「その女は黒船の異人に頼まれて両替えに来たのだと云ったそうだ」と、熊谷は付け加えた。「異人の奴が贋金づかいで、女は知らずに持って来たのか。それとも女が贋金づかいか。おれにもはっきりとした判断は付かなかったが、三島屋でそんな掻っ攫いをやるようじゃあ、女はな
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