、その顔をも蹴られたと見えて、左の小鬢にも血がしたたっていた。銀杏返《いちょうがえ》しの鬢の毛は羽風にあおられて、掻きむしられたように酷《むご》たらしく乱れていた。
 わが屋の飼い鶏が客に対して、思いもよらない椿事を仕いだしたので、店の者共も蒼くなった。殊に相手が女であるだけに、その気の毒さは又一倍である。店の女房は平あやまりに謝まって、ともかくも女を介抱しながら奥の座敷へ連れ込んだ。女中のひとりは近所の医者を呼びに行くらしく、襷《たすき》がけのままで表へ駈け出した。
 庄太もさすがに呆気《あっけ》に取られていた。半七も無言で眺めていると、鶏は伏せ籠のなかで暴れ狂いながら、無理にあき地の方へ押しやられて行った。

     二

「あの鶏《とり》はどうしたのでしょうね」と、庄太は云い出した。「犬にゃあ病犬《やまいぬ》というものがあるが、鶏にゃあ珍らしい」
 半七はやはり無言で考えていると、女房はやがて奥から出て来て、半七らにむかって頻《しき》りに詫びていた。
「おかみさん」と、半七は訊いた。「ここらじゃあ鶏が何か病気にでもなって、あんな騒ぎをすることが時々にあるのかね」
「それがまこと
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