、今日《こんにち》では汽車の便利がありますからね。昔は江戸から川崎の大師河原まで五里半とかいうので、日帰りにすれば十里以上、女は勿論、足の弱い人たちは途中を幾らか駕籠に助《す》けて貰わなければなりません。足の達者な人間でも随分くたびれましたよ」
「それでも相当に繁昌したんでしょうね」
「今程じゃありませんが、御縁日にはなかなか繁昌しました」と、老人はうなずいた。「なんでも文化の初め頃に、十一代将軍の川崎御参詣があったそうで……。御承知の通り、川崎は厄除《やくよけ》大師と云われるのですから、将軍は四十二の厄年で参詣になったのだと云うことでした。それが世間に知れ渡ると、公方《くぼう》様でさえも御参詣なさるのだからと云うので、また俄かに信心者が増して来て、わたくし共の若いときにも随分参詣人がありました。明治の今日《こんにち》はそんなことも無いでしょうが、昔はわたくし共のような稼業の者には信心者が多うござんして、罪ほろぼしの積りか、災難よけの積りか、忙がしい暇をぬすんで神社仏閣に足を運ぶ者がたくさんありました。わたくし共も川崎大師へは大抵一年に二、三度は参詣していましたが、どうも人間は現金なも
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