には玉川の上水が流れて居りまして、土手のむこうは天竜寺でございます。その土手下に一本の古い松の木がありますが、主人は自分の帯を大きい枝にかけて……。死骸のそばに紙入れ、煙草入れ、鼻紙なぞは一つに纏めてありましたが、絵馬は見あたらなかったと申します。あの辺は往来の少ない所でございますので、通りがかりの人がそれを見付けましたのは、けさの六ツ半頃だそうでございますが、近所とは申しながら丸多の店とは少し距《はな》れて居りますので、すぐにそれとは判りかねたと見えまして、御検視なども済みまして、その身許《みもと》もようようはっきりして、わたくし共へお呼び出しの参りましたのは、やがて七ツ頃(午後四時)でございます。それに驚いて駈け付けまして、だんだんお調べを受けまして、ひと先ず死骸を引き取ってまいりましたのは、日が暮れてからの事で……。早速おしらせに出る筈でございましたが、何しろごたごた致して居りましたので……」
「そりゃあ定めてお取り込みでしょう。どうも飛んだことになりましたね」と、半七は気の毒そうに云った。
「そこで、御検視はどういうことで済みました」
「乱心と申すことで……。人に殺されたというわけでも無し、自分で首を縊《くく》ったのでございますから、検視のお役人方も別にむずかしい御詮議もなさいませんでした」
「御検視が無事に済めば結構、わたし達が差し出るにゃあ及びませんが、ともかくもお悔みながらお店まで参りましょう。おい、亀も松も一緒に行ってくれ」
 幸八は駕籠を待たせてあるので、お先へ御免を蒙りますとことわって帰った。半七は途中で箱入りの線香を買って、三人連れで大木戸へむかった。雨は幸いにやんだが、暗い夜であった。
「ひょっとすると、丸多の亭主は首くくりじゃあねえ。誰かに縊《くび》られたのかも知れねえな」と、半七はあるきながら云った。
「やっぱり大津屋の奴らでしょうか」と、亀吉は小声で訊いた。
「絞め殺して置いて、木の枝へぶら下げて置くというのは、よくある手だ」と、松吉も云った。
「まあ、行ってみたらなんとか見当が付くだろう」と、半七は云った。「もしそうならば、大目に見て置くどころか、あいつらを数珠《じゅず》つなぎにしなけりゃあならねえ。又ひと騒ぎだ」
 三人が大木戸の近所まで行き着くと、幸八は店の者に提灯を持たせて迎えに出ていた。丸多の店にはいって、半七は持参の線香をそなえて、家内の人たちに悔みの挨拶をした。今夜は親類に知らせただけで、夜が明けてから世間へ披露《ひろう》するとの事であったが、それでも旧《ふる》い店だけに、出入りの者などが早くも詰めかけて、広い家内は混雑していた。
「御検視の済んだものを、わたくし共がいじくるのもいかがですが……」と、半七は親類や番頭にことわって、座敷に横たえてある多左衛門の死に顔の覆いを取りのけた。片手に蝋燭をかざしながら、まずその死に顔を覗いて、次にその咽喉《のど》のあたりを検《あらた》めた。更にその手の指を一々に検めた。
 それが済んで、半七は縁側の手水《ちょうず》鉢で手を洗っていると、幸八が付いて来てささやくように訊いた。
「別に御不審はございませんか」
「少し御相談がありますから、大番頭さんを呼んでください」
 与兵衛と幸八を別間へ呼び込んで、半七は自分の意見を述べた。自分はこれまで縊死者《いししゃ》の検視にもしばしば立ち会っているが、わが手で縊《くび》れて死んだ者があんなに苦悶の表情を留めている例がない。咽喉《のど》のあたりに微かに掻き傷の痕がある。左の中指と右の人さし指の爪が少し欠けけている。それらを綜合して考えると、主人は他人《ひと》に絞められて、その絞め縄を取りのけようとして藻掻《もが》きながら死んだのである。自分の帯で縊れていたと云うが、頸のまわりに残っている痕をみると、細い縄のような物で強く絞めたらしい。就いては乱心の自殺として、このまま無事に済ませてしまうか、あるいは他殺として其の下手人《げしゅにん》を探索するか。皆さんの思召《おぼしめ》しをうかがいたいと、半七は云った。
 それを聞いて、与兵衛らはひどく驚いたらしく、いまは後家《ごけ》となった女房のお才をはじめ、親類一同を奥の間へ呼びあつめて、俄かに評議を開いた。今さら他殺などと騒ぎ立てるのは外聞にもかかわる事であるから、この儘おだやかに済ませたが好かろうという軟派と、他殺ならば其の下手人を探し出して、相当の仕置を受けさせるが順道であるという硬派と、議論は二派に分かれたが、お才はどうしても主人のかたきを取って貰いたいと強硬に主張するので、軟派の人々も争いかねて、結局その下手人の探索を半七に頼むことになった。
 それから二日目に、丸多の店では主人の葬式を出した。表向きは乱心の縊死ということになっているので、世間の手前、あまり華やかな葬式を営むことを遠慮したのであるが、それでも会葬者はなかなかに多かった。大津屋の重兵衛も会葬者の一人に加わっていた。
 葬式が果てた後、亀吉は重兵衛のあとを尾《つ》けてゆくと、彼は太宗寺の方角へ足を向けた。それは新宿の閻魔として有名の寺である。その寺に近いところに、小さい二階家があって、重兵衛はその入口の木戸をあけてはいった。庭には白い辛夷《こぶし》の花が咲いていた。
 近所で訊くと、それが彼《か》の女絵師の孤芳の住み家であった。これで重兵衛と孤芳との関係が、自分の鑑定通りであるらしいことを亀吉は確かめたが、更に近所の者の話を聞くと、孤芳の家には重兵衛のほかに、二十歳《はたち》前後の色白の男が時々に出入りをする。又そのほかに十七八の不器量な娘も忍んで来るというのであった。男はおそらく牧野万次郎で、娘は大津屋のお絹であろう。孤芳が重兵衛の囲い者のようになっている関係上、万次郎とお絹はここの二階を逢いびきの場所に借りている。それもありそうな事だと、亀吉は思った。
 その報告を聴いて、半七は云った。
「それだけの事が判ったら、それを手がかりに、もうひと足踏ん込まなけりゃあいけねえ。丸多の亭主の下手人は大津屋の重兵衛と睨んでいるものの、確かな証拠も無しに手を着けるわけにゃあ行かねえから、まあ気を長く見張っていろ」
 亀吉は承知して帰ったが、それから十日《とおか》ほど後に、かの孤芳は太宗寺のそばを立ち退いてしまったと報告した。女絵師は突然に世帯《しょたい》をたたんで、夜逃げ同様に姿をかくしたので、近所でもその引っ越し先を知らないと云うのであった。
 それから更に十日ほどの後に、亀吉は新らしい報告を持って来た。大津屋の娘お絹が家出してゆくえ不明になったが、万次郎と一緒に駈け落ちなどをした様子はない。万次郎は相変らず四谷坂町の実家に住んでいる。大津屋では娘の家出を秘密にして、病気保養のために房州の親類に預けたとか云っているが、それが突然の家出であることは近所でもみな知っているというのである。女絵師の夜逃げ、娘の家出、そのあいだに何かの糸が繋がっているらしいのは、何人《なんびと》にも容易に想像されることで、半七もそれに就いていろいろの判断を試みたが、確かにこうという断定をくだし得ないうちに、四月もいつか過ぎてしまった。

     五

「あの時は実におどろきましたよ。胆《きも》を冷やしたというのは、全くこの事です」
 半七老人はその当時の光景を思い泛《う》かべたように、大きい溜め息をついた。それに釣り込まれて、わたしも思わず身を固くした。
「何事がおこったんです」
「まあ、お聴きください。毎度お話をする通り、嘉永六年の黒船渡来から、世の中はだんだんに騒がしくなって、幕府でも海防ということに注意する。なんどき外国と戦争を始めるかも知れないというので、江戸近在の目黒、淀橋、板橋、そのほか数カ所に火薬製造所をこしらえて、盛んに大筒小筒の鉄砲玉を製造したんです。それには水車《すいしゃ》が要るということで、大抵は大きい水車のある所を択《えら》んだようですが、今から考えれば火薬の取り扱い方に馴れていなかったんでしょう、それが時々に爆発して大騒ぎをする事がありました」
「あなたもその爆発に出逢ったんですか」
「そうですよ。わたくしの出逢ったのは淀橋でした。御承知の通り、ここは青梅《おうめ》街道の入口で、新宿の追分から角筈、柏木、成子、淀橋という道順になるんですが、昔もなかなか賑やかな土地で、近在の江戸と云われた位でした。淀橋は長さ十間ほどの橋で、橋のそばに大きい穀物問屋がありまして、主人は代々久兵衛と名乗っていたそうですが、その久兵衛の店に精米用の大きい水車が仕掛けてありました。この水車を山城《やましろ》の淀川の水車にたとえて、淀橋という名が出来たのだという説もありますが、嘘か本当か存じません。ともかくも大きい水車があるために、ここの家も火薬製造所に宛《あ》てられていました処が、このお話の安政元年、六月十一日の明け六ツ過ぎに突然爆発しました。炎天つづきで焔硝が乾き過ぎたせいだとも云い、何かの粗相で火薬に火が移ったのだとも云い、その原因ははっきり[#「はっきり」に傍点]判りませんでしたが、なにしろ凄まじい音をさせて、三度もつづいて爆発したんです。さながら天地震動という勢いで、久兵衛の家は勿論、その近所二丁四方は家屋も土蔵も物置も、みんな吹き飛ばされて滅茶滅茶になってしまいましたが、全体では四丁四方の損害でした。いくら賑やかだと云っても、それは表通りだけのことで、裏へまわれば田や畑が多いんですから、その割合いに人家の被害は少なかったんですが、死人や怪我人は随分ありました。それが為に虫をおこして死んだ子供や、流産した女もあったそうです。いや、実に大変な騒ぎで……。誰だって不意をくらったんですが、わたくし共は捕物の最中というのだから猶更おどろきましたよ」
「なんの捕物に出ていたんですか」
「それが今お話をしている絵馬の一件で、大津屋の重兵衛を追い廻している時なんです」と、老人は説明した。
「いや、まあ、捕物の前にこの一件の種明かしをしてしまいましょう。それで無いと、お話がどうも捗取《はかど》りませんから……。大抵はもうお判りでしょうが、丸多の主人多左衛門が絵馬道楽で、半気ちがいになっているのを付け込んで、大津屋の重兵衛は正雪の絵馬の偽物《にせもの》をこしらえました。そうして、本物と掏り換える役目まで引き受けたんですが、掏り換えたというのは嘘で、実は偽物をそのまま丸多へ渡したんです。鷹の絵は女絵かきの孤芳にかかせましたが、その絵といい、絵馬の木地《きじ》といい、よっぽど上手に出来ていたと見えて、丸多も見ごとに一杯食わされてしまったんです。早くいえば、骨董好きの金持が書画屋や道具屋に偽物を売り付けられたようなわけで、それで済んでいればまあ無事なんですが、重兵衛はその骨折り賃に三十両という金を取っていながら、まだ其の上に大きい慾をかいて、謀叛人の絵馬をぬすみ出したとか、謀叛人の絵馬を大事にしているとかいうのを種に、丸多を嚇かして何千両をゆすり取ろうという大望《たいもう》をおこして、その手先に万次郎を使うことになりました」
「万次郎は大津屋の娘と本当に関係があったんですか」
「確かに関係がありました。いわゆる悪女の深なさけで、女の方はもう夢中になっていたんです。親父の重兵衛も勿論承知で、ゆくゆくは夫婦《めおと》にすると云っていたくらいですから、万次郎も今度の役を引き受けなければなりませんでした。万次郎は年も若いし、腹のしっかりした悪党というのでもありませんが、つまりは慾に引っかかって、重兵衛の指尺《さしがね》通りに働くことになったんです。そこで、丸多の主人をうまく嚇し付けて、最初に百両ずつ二度も引き出したんですが、重兵衛はそのくらいの事で満足するのじゃあない、どうしても何千両の夢が醒めないので、いろいろに万次郎をけしかけて、ますます丸多いじめにかかっていると、相手の多左衛門は絵馬をかかえて家出をしてしまったので、この計画は腰折れの形になりました。それでも丸多の女房や番頭を嚇かせば、まだ幾らかになると思っているうちに、重兵衛は心
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