いのに、年ごろの娘の着物をむやみに売り放すのはおかしい。してみると、房州の親類に預けたなどというのは嘘で、娘は死んだか、家出して帰らないか、二つに一つに相違ないと鑑定したんです。
 そのほかに又こういうことがありました。丸多の店の菩提寺は中野にあるので、五月二十八日の命日に、女房のお才が番頭の幸八と小僧を連れて、多左衛門の墓まいりに行った帰り道に、淀橋の町はずれを通ると、その頃のここらには茅葺きの家がたくさんありました。その茅葺きの一軒の家で、庭の梅の実を落としている。垣根は低い四目《よつめ》垣でしたから、通りがかりながら見るとも無しに覗いてみると、梅の実を取っているのは二十三四の女で、それに不思議はないのですが、その時お才と幸八の眼についたのは、梅の木から木へ竹竿をわたして洗濯物を干してある。その洗濯物のなかに一枚の大きい風呂敷が懸かっていて、それが見おぼえのある丸多の店の風呂敷で、主人が家出のときに例の絵馬を包んで持ち出したものらしい。丸多の暖簾《のれん》は丸の中に多の字を出してあるんですが、これには丸多の店のしるしが無く、家の定紋《じょうもん》の下《さが》り藤が小さく染め出してあ
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