にもない人殺しをする事になったんです」
「重兵衛が丸多の主人を殺したんですね」
「多左衛門が家出をしてから三日目、即ち三月二十八日の晩に、重兵衛は淀橋にある自分の家作を見まわりに行って、それから千駄ヶ谷の又助という建具屋へ寄って、雨戸一枚と障子二枚をあつらえて、夜もやがて四ツ(午後十時)という頃に、提灯をぶら下げて、例の高札場に近い土手へさしかかると、大きい松の木の下にぼんやり突っ立っている人影が見える。もしや首でも縊《くく》るのかと、提灯を袖に隠しながら抜き足をして近寄ると、それが丸多の主人であったので、おどろいて声をかけました。
 なにしろ相手の多左衛門が姿を隠してしまっては、万事の掛け合いが巧く行かないと思っている矢さきへ、丁度にここでその姿を見付けたので、重兵衛はこれ幸いと喜んで、いろいろに宥《なだ》めすかして丸多の店へ連れて帰ろうとしたが、多左衛門はどうしても承知しない。家へ帰ると、これを取り返されるから否《いや》だと云って後生《ごしょう》大事に例の絵馬を抱えている始末。まったく、本人は半気違いになっていたらしく、いかに説得しても肯《き》かないので、重兵衛もしまいには焦《じ》
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