女かと云ったら、職人が笑っていたでしょう。まったく笑うはずで、わっしもきょう初めて覗いてみたが、いやもう、ふた目と見られねえ位で、近所のお岩さまの株を取りそうな女ですよ。可哀そうに、よっぽど重い疱瘡《ほうそう》に祟られたらしい。それでもまあ年頃だから、万次郎と出来合った……。と云っても、おそらく万次郎の方じゃあ次男坊の厄介者だから、大津屋の婿にでもはいり込むつもりで、まあ我慢して係り合っているのでしょうよ」
「それで先ずひと通りは判った」と、半七は薄く瞑《と》じていた眼をあいた。「娘と万次郎と出来ていることは父親の重兵衛も知っていて、行く行くは婿にでもするつもりだろう。それはまあどうでも構わねえが、丸多の亭主の絵馬きちがいに付け込んで、偽物の絵馬をこしらえて、孤芳という女に絵をかかせて、その偽物を丸多に押しつけて……。それから入れ代って万次郎が押し掛ける。やっぱり俺の鑑定通りだ……。今の話じゃあ、万次郎という奴はあんまり度胸のある人間でも無さそうだから、おそらく重兵衛の入れ知恵だろう。自分が蔭で糸を引いて、万次郎をうまく操《あやつ》って、大きい仕事をしようとする……。こいつもなかなかの謀叛人だ。由井正雪が褒めているかも知れねえ。だが、こいつらがおとなしく手を引いて、これっきり丸多へ因縁を付けねえということになれば、まあ大目《おおめ》に見て置くほかはあるめえ。何事もこの後の成り行き次第だ」
「まあ、そうですね」と、亀吉も答えた。
「それにしても、丸多の亭主にも困ったものだ。店の者にゃあ気の毒だが、何処をどう探すという的《あて》がねえ」と、半七は溜め息をついていた。
それから世間話に移って、やがて四ツ(午後十時)に近い頃に、亀吉らは一旦挨拶して表へ出たかと思うと、又あわただしく引っ返して来た。
「親分、飛んだ事になってしまった。丸多が死んだそうですよ」
つづいて番頭の幸八が駈け込んだ。
「いろいろ御心配をかけましたが、主人の死骸が見付かりました」
「どこで見付かりました」と、半七も忙がわしく訊《き》いた。
「追分《おいわけ》の高札場《こうさつば》のそばの土手下で……」
「それじゃあ近所ですね」
「はい。店から遠くない所でございます」
「どうして死んでいたのです」
「松の木に首をくくって」
「例の絵馬は……」
「死骸のそばには見あたりませんでした。御承知の通り、あすこには玉川の上水が流れて居りまして、土手のむこうは天竜寺でございます。その土手下に一本の古い松の木がありますが、主人は自分の帯を大きい枝にかけて……。死骸のそばに紙入れ、煙草入れ、鼻紙なぞは一つに纏めてありましたが、絵馬は見あたらなかったと申します。あの辺は往来の少ない所でございますので、通りがかりの人がそれを見付けましたのは、けさの六ツ半頃だそうでございますが、近所とは申しながら丸多の店とは少し距《はな》れて居りますので、すぐにそれとは判りかねたと見えまして、御検視なども済みまして、その身許《みもと》もようようはっきりして、わたくし共へお呼び出しの参りましたのは、やがて七ツ頃(午後四時)でございます。それに驚いて駈け付けまして、だんだんお調べを受けまして、ひと先ず死骸を引き取ってまいりましたのは、日が暮れてからの事で……。早速おしらせに出る筈でございましたが、何しろごたごた致して居りましたので……」
「そりゃあ定めてお取り込みでしょう。どうも飛んだことになりましたね」と、半七は気の毒そうに云った。
「そこで、御検視はどういうことで済みました」
「乱心と申すことで……。人に殺されたというわけでも無し、自分で首を縊《くく》ったのでございますから、検視のお役人方も別にむずかしい御詮議もなさいませんでした」
「御検視が無事に済めば結構、わたし達が差し出るにゃあ及びませんが、ともかくもお悔みながらお店まで参りましょう。おい、亀も松も一緒に行ってくれ」
幸八は駕籠を待たせてあるので、お先へ御免を蒙りますとことわって帰った。半七は途中で箱入りの線香を買って、三人連れで大木戸へむかった。雨は幸いにやんだが、暗い夜であった。
「ひょっとすると、丸多の亭主は首くくりじゃあねえ。誰かに縊《くび》られたのかも知れねえな」と、半七はあるきながら云った。
「やっぱり大津屋の奴らでしょうか」と、亀吉は小声で訊いた。
「絞め殺して置いて、木の枝へぶら下げて置くというのは、よくある手だ」と、松吉も云った。
「まあ、行ってみたらなんとか見当が付くだろう」と、半七は云った。「もしそうならば、大目に見て置くどころか、あいつらを数珠《じゅず》つなぎにしなけりゃあならねえ。又ひと騒ぎだ」
三人が大木戸の近所まで行き着くと、幸八は店の者に提灯を持たせて迎えに出ていた。丸多の店にはいって、半七は持参の線香をそ
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