いながらも舟を寄せて、その袂をつかんで引き寄せようとすると、袂は切れて……。片袖だけが其の人の手に残って、死骸はまた流れて行ってしまったそうです。これも何かの因縁だろうから、その片袖を自分の寺に納めて、御回向《ごえこう》でもして貰おうと思っていると、その晩の夢にその女が枕もとへ来て、その片袖は北新堀の鍋久へおとどけ下さい、きっとお礼を致しますからと、こう云って消えてしまった。お礼などはどうでもいいが、余りに不思議だからお問い合わせに来ましたと云って、出して見せたのは確かに若いおかみさんの品で……」
「その晩に着ていた物だね」
「そうでございまいます。四《よつ》入り青梅《おうめ》の片袖で、潮水にぬれては居りますが、色合いも縞柄も確かに相違ございません。おかみさんもそれに相違ないと申しまして、品川の人には相当の礼を致して、その片袖をこちらへ受け取りました」
「その礼は幾らやりましたね」
「このことは内分にしてくれと申しまして、金十両をつつんで差し出しますと、その人は辞退して容易に受け取りません。それではこちらの気も済まず、仏の心にも背《そむ》くわけですから、無理に頼んで持たせて帰しました」
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