三

 徳次に連れられて、半七が日本橋へ出て行ったのは、八月八日の朝であった。北新堀の鍋久をたずねて、番頭さんに逢いたいと云い込むと、勘兵衛はすぐに出て来た。岡っ引と知って、彼はちょっとその顔を陰らせたが、また俄《にわ》かに思い返したようにこころよく二人を奥へ案内した。ここは地方から出て来た商売用の客を接待する座敷であるらしく、床の間、ちがい棚の造作《ぞうさく》もなかなか整っていた。
「おかみさんは少し体を悪くいたして、あちらに臥《ふ》せって居りますので、御用はわたくしに承われと申すことでございます」と、番頭は丁寧に頭を下げた。
「ごもっともです」と、徳次も挨拶した。「いろいろと心配事が重なって、おかみさんも弱りなさる筈だ。そこで番頭さん。若いおかみさんの行方《ゆくえ》はまだ知れませんかえ」
「知れたと申しましょうか、知れないと申しましょうか。実はおとといの夕方、品川の弥平さんというお人が見えまして……」と、番頭は云った。「その人が前の晩に舟を出して、品川の海で海鰻《あなご》の夜釣りをしていたそうでございます。そこへ一人の女の死骸が流れてまいりましたので、気味が悪いと思
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