引っ立てられて、徳次の下調べを受けたが、まず新次郎の申し立てによると、お節の縁談について鍋久のおきぬが山谷へしばしば尋ねて来る時、彼は幾たびかその供をして来て、お節の美貌にこころを奪われた。しかも彼女は若主人の嫁になる女であるから、新次郎はどうでも諦めるのほかはなかった。その素振りがお節の眼に付いたものか、嫁入り早々から、彼女は新次郎に親しく物などを云いつけた。勿論、新次郎は総身《そうみ》がとろけるほどに嬉しかった。こうしてひと月ほど過ぎた後、新次郎が土蔵へ何かを取り出しに行ったところへ、お節もあとから忍んで来て、こんなことを彼にささやいた。自分の父はある旗本の屋敷に用人を勤めているあいだに、千両ほどの金を使い込んで、すでに切腹にも及ぶべきところを、その金を年賦にして三年間に返納するということで、まずは無事に長《なが》の暇《いとま》となったのである。しかも今は浪人の身で、その大金の調達は容易に出来ない。現に自分の支度料として受け取った二百両も、半分以上はその方へ繰り廻したのであるが、それでも不足であることは判り切っている。さりとて嫁入り早々に、姑や夫にそれを打ち明けることも出来ない。就いてはわたしを助けると思って、土蔵に仕舞ってある金をぬすみ出してはくれまいか。万一それが露顕した暁には、わが身にかえても決してお前に難儀はかけまいと、彼女は泣いて口説《くど》いたのである。
 奉公人として主人の金をぬすみ出すのは罪が深い。殊に十両以上の金であれば、死罪に処せられるのが定法《じょうほう》である。それを承知しながら新次郎がやすやすと承知したのは、お節のことばに一種の謎が含まれていたからであろう。彼はもうなんの分別も無しに、手近の金箱から二百両と百八十両を二度ぬすみ出して、お節の指図通りに山谷の実家へとどけたのである。
 お節がなぜ夫を殺したのか、それに就いてはなんにも知らない。自分も不意の出来事におどろいたと、新次郎は申し立てた。
 表へ飛び出すお節を追っかけて行った時、店の灯が薄暗いのでよくは判らなかったが、散らし髪を振りかぶっているお節の顔が、どうも其の人らしく見えなかったので、自分は今でもそれを疑っていると、彼は云った。
 徳次は更にお直を調べた。
「お直。おまえは幾つだ」
「二十歳《はたち》でございます」
「鍋久には何年奉公している」
「三年でございます」
「新次郎と出来合っているのだな。そうだろう、正直に云え」
「恐れ入りました」と、お直は蒼ざめた顔を紅《あか》くした。
「今夜は小左衛門の家《うち》へ何しに行ったのだ」
「若いおかみさんが居るか居ないか、訊きに行ったのでございます」
「生きていたらどうするのだ」
「お上《かみ》へ訴えてやります」と、彼女はだんだん興奮して来た。「若いおかみさんが来てから、新どんは何んだかそわそわしていて、わたくしを見向きもしません。何を話しかけても碌々に返事もしません。新どんは若いおかみさんに惚れているのでございます。それはわたくしがよく知っています。おかみさんは身を投げて死んだということになっているのに、新どんはどうも生きているように思われると、内証でわたくしに云いました。新どんはきっと何か知っているに相違ありません」
「おまえはどうして鍋久から暇《ひま》を出されたのだ」
「やっぱりその事からでございます。若いおかみさんは生きているかも知れないと、わたくしがふい[#「ふい」に傍点]と口をすべらせたのが、おかみさんや番頭さんの耳にはいって、飛んでもないことを云う奴だと、さんざん叱られました。それがもとで、とうとうお暇が出たのでございます」
「新次郎。おまえは今夜どうして出て来た」
「昼間のうちに小僧を使によこしましたが、それがいつまでも帰って参りませんので、なんだか不安心になりまして……」
「小僧に持たせてよこした手紙には、どんなことが書いてあるのだ」
「どう考えましても、若いおかみさんは何処《どっ》かに生きているように思われてなりませんので……」と新次郎は恐るるように小声で答えた。「どっかに隠れているならば、ぜひ一度逢わせてくれと……」
「逢ってどうする積りだ」
 新次郎は俯向いたままで黙っていると、それを妬《ねた》ましそうに睨んでいたお直は、横合いから鋭く叫んだ。
「申し上げます。新どんは若いおかみさんと一緒に駈け落ちでもする積りに相違ございません。それでわたくしを殺そうとしたのでございます」
「わたしが何んでお前を……」と、新次郎はあわてて打ち消した。
「手をおろしたのはお前でなくっても、あの浪人とぐる[#「ぐる」に傍点]になって、わたしを殺そうとした。そうだ、そうだ、それに相違ない。わたしを誤魔化して追い返そうとしても、わたしがどうしても動かないので、浪人が両手でわたしの咽喉《のど》を
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