をみやげにして、彼はむなしく引き揚げるのほかは無かった。半七は半介に負かされたように感じた。
 その明くる朝、徳次もぼんやりして神田の親分の家へ帰って来た。彼は浅草の山谷《さんや》へ行って、近所で磯野小左衛門のうわさを聞いたが、別にこれぞという手がかりも探り出せなかった。更にその近所に張り込んで、夜の明けるまで出入りを窺っていたが、怪しい影ひとつ見いだし得なかった。彼はむなしく疲れて引き揚げたのでる。
 徳次と半七の報告を聴いて、親分の吉五郎は云った。
「高輪の半介はまあ打っちゃって置け。お節が真者《ほんもの》か替玉か判らねえ以上は、野郎をいくら責めたところで埒は明くめえ。まさか草鞋《わらじ》もはくめえから、当分は生簀《いけす》に入れて置くのだ。なにしろこの騒動のおこる前に、鍋久で二度も金を取られたというのがどうも可怪《おか》しい。だが、ここにもう一つ考えようがある。お節という女がよくねえ奴で、気違いの振りをして亭主を殺して、自分は川へ飛び込んだ振りをして、うまく泳いで逃げようとしたところが、案外に水が増しているか、流れが早いか、それがために心ならずも押し流されて、狂言が本当になってしまったというようなことがねえとも限らねえ。どっちにしても、親父の小左衛門という奴から何かの手がかりを絞り出すよりほかはあるめえ。その積りで根《こん》よく見張っていろ」
「ようがす」と、徳次は答えた。「じゃあ、半七。おめえは山谷へ出張って、当分は網を張っていてくれ。あすこに砂場《すなば》という蕎麦屋があるから、そこを足休めにして、小左衛門の出入りを見張っていろ。おれの名をいえば、蕎麦屋でも何かの手伝いをしてくれるかも知れねえ」
 なんの商売でもそうであるが、この商売は根気が好くなければならない。殊に科学捜査の発達しない此の時代には、眼の捷《はや》いのと根《こん》の好いのが探索の宝である。半七はその日から山谷の蕎麦屋を足溜りにして、油断なく小左衛門の出入りを窺っていたが、彼は近所の銭湯《せんとう》へ行くか、小買い物に出るほかには、何処へ出かけることも無かった。たずねて来る人もなかった。
 こうして三、四日を送るあいだに、徳次はどこから聞き出したのか、小左衛門の身もとを洗って来た。彼は藩中《はんちゅう》の浪人ではなく、旗本の渡り用人である。二、三の旗本屋敷を渡りあるいて、今は浪人しているが、
前へ 次へ
全29ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング