え。そこは推量さ」
「向うへ行って、もし間違っていたら引っ込みが付くめえ」
「そりゃあ段取りがありまさあね」と、彼は半七の無経験をあざけるように答えた。「いきなり証拠物を出しゃあしねえ。まず番頭に逢って、こちらのお嫁さんの死骸は見付かったかと訊くと、まだ見付からねえという。家を飛び出した時にはどんな物を着ていたかと訊《き》くと、四入り青梅の単衣《ひとえ》でこうこういう縞柄だという。それがぴったり符合《ふごう》していりゃあ、もう占めたものだ。そこで初めて怪談がかりになって、証拠の片袖を御覧に入れるんだから十《とお》に一つも仕損じはありゃあしねえ。ねえ、そうじゃあありませんか」
後学のために覚えて置けと云わないばかりに、彼はそらうそぶいていた。こうなると普通の騙《かたり》りや強請《ゆすり》ではない。ともかくも其の片袖は本物である。十両の礼金は鍋久が勝手にくれたのである。それらの事情をうまく云いまわせば、彼は単に叱り置くぐらいのことで、ほんとうの科人《とがにん》にはならないかも知れない。彼が多寡をくくって平気な顔をしているのも、それが為であろうと半七は思った。
しかもお節はほんとうに死んだのか、或いはどこかに潜《ひそ》んでいるのか、まずその生死を確かめなければならない。自分たちの鑑定通りに、川へ飛び込んだのはお節の替玉であるとすれば、半介の話は全然うそである。自分を青二才とあなどって、いい加減に誤魔化すのである。嘘か、本当か、年の若い半七はしばらく思案に迷ったが、いかにも人を食っているような半介の態度が、正直に物をいう人間であるらしく思われなかった。半七は重ねて訊《き》いた。
「きょうは八日だ。鍋久へ行ったのはおとといの夕方だから、その前の晩といえば五日だな。おめえは何処から舟を借りて出た」
「銭もねえのに釣り舟なんぞ借りるもんですか。品川の浪打ちぎわへ行って釣ったのさ」
「その釣り道具を見せてくれ」
半介はすぐに立って、奥の台所から釣り竿と魚籠《びく》を持ち出して来た。
「おまえさん、まだわっしを疑っているね」と、彼は笑った。「徳次兄いは何と云ったか知らねえが、わっしはそんなに悪い人間じゃありませんよ。あはははは」
ここでいつまで争っても水掛け論であると諦めて、半七は怱々《そうそう》にここを出た。鍋久へ片袖を持参したのは、半介に相違ないということを突き留めただけ
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