鬼退治に出て行ったあとを見送って、平井ノ保昌《やすまさ》や坂田ノ金時《きんとき》らが「綱の奴め、首尾よく鬼を退治して来るだろうか」などと噂をしているというのである。古今変らぬ人情で、今夜も師匠や喜平次らの出て行ったあとで、他の十五、六人の門弟はその噂に時を移した。御新造のお常も出て来て、その噂の仲間入りをした。縁の下にはこおろぎが鳴いて、この頃の夜寒《よさむ》が人々の襟にしみた。
「先生は遅いな」と、一人が云い出したのは、今夜ももう四ツ(午後十時)に近い頃であった。
「そうですねえ」と、お常もやや不安そうに云った。
 鰻縄手から富士裏まではさのみの道程《みちのり》でもないから、往復の時間は知れたものであるが、まだ夜が更《ふ》けたというほどでも無いので、例の怪しい声が聞えないのではないか。師匠らはそれを待っているために、むなしく時を費しているのであろう。そんな意見が多きを占めて、さらに半刻ほどを過ごしたが、左内らはまだ帰らなかった。
「どうしたのでしょうねえ。まさか間違いはあるまいと思いますけれど……」と、お常は又もや不安らしく云った。
 こうなると、御新造の手前、人々も落ち着いてはいら
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