の蒲焼はどうだ」と、半七は幸次郎をみかえって笑った。
「やあ、御免だ」
「あんまりそうでもあるめえ」
 作事場の役人にことわって、半七は仮橋のあたりを一応見まわった後に、西の橋番をたずねた。両国橋は東西に橋番の小屋があるが、金の蝋燭の一件は橋の西寄りであったので、すべて西の橋番の係り合いとなったのである。橋番の久八というおやじは半七の顔を見識っているので、丁寧に挨拶した。
「親分さん、御苦労でございます。まあ、おかけ下さい」
「きのうはこの川で大変な掘り出し物をしたというじゃあねえか」と、半七は腰をかけながら云った。「おれも一生に一度はそんな掘り出し物をしてえものだ」
「いえ、お前さん。あの女が散らし髪になって、恐ろしい顔をして、死んでも放すまいというように、風呂敷包みをしっかり抱えていたのを見ると、慾も得もありません。金の蝋燭でも、金の伸べ棒でも、あんな物を貰ったら、きっと執念が残って祟られますよ」
「三十二三で、小粋な女だそうだね」
「今は堅気《かたぎ》のおかみさんでも、若い時にゃあ泥水を飲んだ女じゃあないかと思われました。木綿物じゃあありますが、小ざっぱりした装《なり》をして……。まあ、見たところ、困る人じゃあ無さそうでしたね」
「困る筈はねえ。金の棒をかかえている位だ」と、幸次郎は笑った。「まあ、その晩のことを親分にひと通り話してくれ」

     二

「一体、その女は自分で飛び込んだのか、粗相で落ちたのか、誰かに突き落されたのか、おめえに心当りはねえのかね」と、半七は訊《き》いた。
「それはきのうも検視のお役人から御詮議がありましたが、まったく何も心当りが無いのです。わたくしは唯、ざぶんという水の音を聞いただけで、すぐに提灯を持って出ましたが、男か女か判らないので……」
 久八は少し曖昧に答えた。身投げを見付けたらば直ぐに救うのが橋番の役であるが、今や欄干に手をかけた者を留めることはあっても、すでに飛び込んでしまった者を救い揚げることは滅多《めった》に無い。久八も水音におどろかされて一旦は出て行ったものの、もう遅いと諦めて、いい加減に引っ返したらしいのである。しかもそれが女であると判って、彼もいささか気が咎めないでも無かった。その時代の習慣として、男を見殺しにしたよりも、女や子供の弱い者を見殺しにしたということが、余計に不人情と認められたからである。
 しかし今の半七に取っては、そんな詮議はどうでもよかった。彼は重ねて訊《き》いた。
「その晩はまあそれとして、その後にも別に気の付いたことは無かったかね」
「それがねえ、親分」と、久八は声を低めた。「実はすこし変だと思うことが無いでもないので……。その明くる日の朝、ようよう夜が明けた頃に、ひとりの男が仮橋の上に突っ立って、暫く水の上を眺めていたのです。その時はさのみ気にも留めませんでしたが、御承知の通り、その日は朝の四ツ頃から雨があがっていい天気になりました。そうすると、午過ぎになって又その男が橋の上に来て、今朝とおなじように水を眺めているのです、それが二日も三日も続いたので、いよいよ変だと思っていると……。ねえ、お前さん。きのう女の死体が揚がってみると、死体は丁度その男の立っていた橋の下あたりに沈んでいたわけで……。してみると、その男は何かの係り合いがあって、女がそこらに沈んでいることを知っていて、幾度も川を覗きに来たのじゃあないかと思われるのですが……」
「ふうむ。そんなことがあったのか。そこで、その男はどんな奴だ」
「もう四十近い、色の浅黒い、がっしりした男で、まんざら野暮《やぼ》な人でも無いようなふうをしていました。勿論、別に証拠があるわけじゃあありませんが、ひょっとすると死骸の女の亭主で……」
「爺さん、偉《え》れえ」と、幸次郎は啄《くち》を容《い》れた。「おれも其の話を聴いて、すぐにそう思った。世間によくある奴で、女は夫婦喧嘩でもして飛び込んだのかも知れねえ。それにしても、やっぱり判らねえのは金の蝋燭……。どうしてそんな物を抱えていたかな」
「それが判りゃあ仔細はねえ」と、半七はにが笑いした。「いや、判らねえところが面白いのかも知れねえ。その男はきょうも来たかえ」
「きょうはまだ見えないようです」と、久八は答えた。「死骸が揚がってしまったので、もう来ないのかも知れませんよ」
「むむ」と、半七は薄く眼を瞑《と》じて考えていた。「その男は西からか東からか、早く云えば日本橋の方から来たのか、本所の方から来たのか、それも判らねえかね」
「いつでも柳橋の方から来るようですから、あの辺の人か、それとも神田か浅草でしょうね」
「いや、ありがとう。御用とはいいながら、飛んだ邪魔をした。おい、爺さん。こりゃあ少しだが、煙草でも買いねえ。放し鰻の代りだ」
 久八に幾らかの銭《
前へ 次へ
全12ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング