で上《かみ》の方の流れを少し堰《せ》いたので、西寄りの仮橋の裾の方が浅くなって干上《ひあ》がった。そうすると、女の死骸が沈んでいるというので人足どもは大騒ぎ……。まあ、お聴きなせえ。それがおかしい」と、幸次郎はいよいよその眼を光らせた。「その女は風呂敷包みを大事そうにしっかり抱えている……。その包みをあけて見ると、大きい蝋燭が五、六本……いや、確かに五本あったそうです。ところが、その蝋燭が馬鹿に重いので、こいつは変だなと云って、人足のひとりがその一本をそこらの杭《くい》に叩き付けてみると、なるほど重い筈だ。芯《しん》は金無垢の伸べ棒で、その上に蝋を薄く流しかけて、蝋燭のように見せかけてある。これにはみんなも驚いて、早速に係りの役人衆に訴え出る。それからだんだんに調べてみると、どの蝋燭も芯は金無垢の拵え物……。どうです、まったくおかしいじゃありませんか」
「むむ、おかしいな。そこで、その死骸はどんな女だ」
「わっしは見ませんが、なんでも三十二三の小粋な女房で、その風呂敷包みのほかにはなんにも持っていなかったそうです。からだに疵は無し、水を嚥《の》んでいる。たしかに身投げに相違ねえというのですが、さてその蝋燭がわからねえ。芯が金無垢でこしらえた蝋燭なんていう物が、この世の中にある筈がねえ。一体その女がどうしてそんな物を抱えていたのか、ひと詮議しなけりゃあなるめえと思うのですが、どうでしょう」
「おめえの云う通り、こりゃあ打っちゃって置かれねえな」と、半七は膝を立て直した。「おい、幸。しっかりしなけりゃあいけねえ。魚《さかな》は案外に大きいかも知れねえぞ」
「どうも唯事じゃあ無さそうですね」
「なにしろ、いいことを嗅ぎ出して来てくれた。さあ、帯を絞め直して取りかかるかな」
 金の蝋燭について、半七が俄かに緊張の色を見せたのは、それが彼《か》の御金蔵破りに関係があるらしいと認めたからである。犯人が何者であるか判然《はっきり》したのは、その翌々年、即ち安政四年のことであって、その当時は全く目星が付かない。江戸城内の勝手を知っている番士またはその家来どもの仕業《しわざ》であるか、或いは町人どもの仕業であるか、その判断にも苦しんでいた矢さきであるから、少しの手がかりでも見逃がすことは出来ないのである。いずれにしても、江戸城内に忍び入って金蔵を破るほどの大胆者である以上、彼らにも相当の覚悟がある筈で、右から左にその大金を湯水のように使い捨てるような、浅はかな愚かなことはしないであろう。恐らく何処にか埋め隠して置いて、詮議のゆるんだ頃にそっと持ち出すという方法を取るであろうとは、何人《なんびと》も想像するところであった。
 さてその金をかくす方法は、まず自宅の床下に埋めて置くのが普通である。次は他人《ひと》の眼に付かないような場所を選んで、なにかの眼じるしを立てて埋めて置くのである。これは誰でも考えることで、今度の犯人もその一つを択《えら》んだであろうと察せられるが、そのほかの方法はその小判を鋳潰《いつぶ》して地金《じがね》に変えてしまうことである。通貨をみだりに地金に変えることは、国宝鋳潰しの重罪に相当するのであるが、すでに金蔵を破るほどの重罪犯人であれば、そのくらいの事は憚《はばか》る筈もない。たといその小判の全部でなくとも、その一部を鋳潰して、何かの形に変えて置くようなことが無いとも限らない。純金の伸べ棒を芯《しん》に入れて、それを大きい蝋燭に作って置くなども、確かに一つの方法であると半七は思った。
 金蔵やぶりの盗賊が一人の仕業でないのは、容易に想像されることである。少なくも二人または三人の同類が無ければならない。殊に鋳潰しなど企てたとすれば、まだほかにも同類がありそうである。半七はすぐに子分らを呼びあつめて、江戸じゅうの蝋燭屋と、金銀細工の職人を片っぱしから調べてみろと云い付けた。
「さあ、これからどうするかな」
 なにしろ一応は現場を見ておく必要があるので、半七は幸次郎を連れて出た。四月はじめの大空は蒼々と晴れて、町には初袷《はつあわせ》の男や女が賑わしく往来していた。昔ほどの景気はないが、それでも初鰹を売る声が威勢よくきこえた。
「すっかり夏になりましたね」と、幸次郎は云った。
「寒い時も困るが、おれ達の商売も暑くなると楽じゃあねえ。一体、両国橋の繕《つくろ》いというのは、いつ頃までに出来上がるのだ」
「五月の末……川開きまでにゃあ済むのでしょう。それでなけりゃあ土地の者が浮かばれませんよ」
「そうだろうな」
 柳原|堤《どて》の夏柳を横に見ながら、二人は西両国へ行き着くと、橋の修繕はなかなかの大工事であるらしく、その混雑のために広小路の興行物はすべて休業で、職人や人足を目あての食い物屋ばかりが繁昌していた。
「おい、鯡《にしん》
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