らないと、半七は思った。
 勿論、一つの犯罪を探索しているうちに、その見込み違いから、更に犯罪を発見するような例は、これまでにもしばしば経験があるので、半七は今さら驚くという程でもなかったが、見込み違いは確かに見込み違いである。彼は一種の失望を感じた。
 そこへ幸次郎が威勢よく飛び込んで来た。彼は半七を座敷へひき戻して口早にささやいた。
「親分、魚《さかな》はやっぱり大きいようです。辻倉の若い者に訊いたら、ここのおかみさんを乗せて行った先は、本所のももんじい屋の近所の錺屋《かざりや》だそうですよ」
 ゆく先が錺屋というので、彼は大いに意気込んでいるらしいが、今の半七の考えはもう違っていた。然し金の蝋燭をかかえて身を投げた女――それが、古今に例のない不思議の出来事であるだけに、彼の職業的興味は再び湧き起った。それが五年前の出来事であるにもせよ、金蔵やぶりと無関係であるにもせよ、進んでその秘密を発《あば》かなければならないと思うにつけて、金の蝋燭と錺屋、そこに離るべからざる連絡を見いだしたのを喜んだ。彼はお由を座敷へ呼んで訊いた。
「おい、本所から来る増さんというのは、錺屋かえ」
「はい。錺屋さんだそうでございます」
「なんの用で来るのか知らねえか」
「やっぱりお金を借りに来るようです」
「この女じゃあ埒《らち》が明きますめえ」と、幸次郎は催促するように云った。「なにしろ早いが勝だから、すぐ本所へ廻りましょう」
「むむ。出かけよう」
 お由には当分おとなしくしているように云い聞かせて置いて、半七と幸次郎は更に本所へむかった。駒止《こまどめ》橋の近所で錺屋の増さんと訊くと、すぐに知れた。
「あの店におしゃべりらしい嬶《かかあ》がいる。あすこへ寄って内聞《ないぎ》をしてみろ」
 半七に指図されて、幸次郎は路ばたの魚屋へ立ち寄った。店さきで盤台を洗っている女房に話しかけて、錺屋の噂を聞き出すと、果たして彼女は口軽にいろいろのことをしゃべった。錺屋の増蔵は三十二三で、去年の春に女房に死に別れ、今では小僧と二人暮らしの男世帯である。腕はなかなかにいい職人であるが、女房をなくしてから道楽を始めて、諸方に義理の悪い借金が出来たらしいという。それで大抵の見当も付いたので、二人は錺屋へたずねて行くと、小僧がぼんやりと店に坐っていて、親方は二階に寝ていると答えた。
 呼びおろされて出て来た増蔵はほろよい機嫌であったが、これは山出しのお由とちがって、江戸生え抜きの職人であるだけに、半七らが唯の人でないことに早くも気がついたらしく、俄かに形をあらためて丁寧に挨拶した。
「わたくしは増蔵でございますが、なんぞ御用でございますか」
「おれは三河町の半七だが、内の者はまだ誰も来ねえかね」
「いえ、どなたも……」と、増蔵は不安らしく相手の顔をみあげた。
「まだここらまでは廻って来ねえか。遅い奴らだな。じゃあ、すぐに御用に取りかかろう。本来ならば番屋へ引っ張って行くのだが、近所の手前もあるだろうから、ここで訊くことにするよ」
 小僧を奥へ追いやって、半七は店にあがり込んだ。よもやとは思うものの野暮《やぼ》に立ち騒いだらば直ぐに押える積りで、幸次郎は店さきに腰をかけていた。
 しかし相手は案外におとなしく、半七の調べに対して正直に答えた。
「まことに恐れ入りました。実はきのう両国の仮橋の下から女の死骸が揚がって、それが金の蝋燭をかかえていたという噂を聞きまして、すぐに訊きに行きますと、確かに見おぼえのある人でしたから、そこで正直にお係りのお方に申し上げようかと思ったのですが、なんだか気が咎めて其のままそっと帰って来てしまいました。それがためにいろいろお手数《てかず》をかけまして相済みません」
「おめえは以前から田町の宗兵衛を識っているのか」
「いえ、去年の九月頃からでございます。実は去年の正月に女房をなくしまして、それからちっとばかり道楽を始めたので、ふところがだんだん苦しくなりまして……。そのうちに、吉原の若い者の喜助という者と懇意になりまして、その喜助が袖摺稲荷の近所にいる宗兵衛という金貸しを識っているというので、喜助の世話でそこから小金を借りることになって、それからまあ足を近く出這入りをするようになりました」
「宗兵衛からよっぽど借りたか」
「一度にたんと借りたことはございません。せいぜい二|歩《ぶ》か三歩でしたが、それでもだんだんに元利が溜まってしまいまして、今では七、八両になって居ります」
「七、八両……。職人にしては大金だ。それを宗兵衛は催促しねえのか」
「ちっとも催促しないで、いつもいい顔をして貸してくれました。あとで考えると、それには少し思惑《おもわく》のあることで……。先月のはじめに田町の家へたずねて参りますと、宗兵衛は一本の大きい蝋燭を出して見せ
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