と同じ芝居を打たにゃあならねえ。女を嚇かすのはおめえに限る。まあ、頼むよ」
四
お由は下総《しもうさ》の松戸の生まれで、去年の三月からこの家に奉公して、今まで長年《ちょうねん》しているのであった。ことし十八で、いわゆる山出しの世間見ずではあるが、正直一方に働くのを取得《とりえ》に、主人夫婦にも目をかけられていた。そういう女であるから、宗兵衛夫婦のあいだにどんな秘密がひそんでいるかを勿論知っている筈はなかった。彼女は幸次郎に嚇されて、ただふるえているばかりであったが、それでも途切れ途切れにこれだけの事を語り出した。
「旦那とおかみさんとは去年の夏頃からたびたび喧嘩をしていました。去年の暮に一旦別れるような話もありましたが、まあ其の儘になっていたのです。今月の二日の晩に、おかみさんは宵から出て行きましたが、出先でまた旦那と喧嘩をしたと見えて、散らし髪になって真っ蒼な顔をして帰って来て、癪が起ったと云って暫く横になっていました。それから奥へはいって何か探し物でもしている様子でしたが、やがてわたくしを呼んで、本所まで駕籠を一挺頼んで来てくれというので、すぐに表通りの辻倉へ呼びに行きました。おかみさんがその駕籠に乗って出たあとへ、ひと足違いで旦那が帰って来ましたから、おかみさんはこうこうですと話しますと、旦那はすぐに奥へはいって、これも何か探し物をしているようでしたが、わたくしには何も云わずに、あわてて表へ出て行きました。その晩の四ツ過ぎに、旦那はひとりで帰って来ましたが、おかみさんはそれぎり帰りません。旦那の話では、おかみさんは体が悪いので箱根へ湯治にやったということでした」
「それは二日の晩のことで、旦那はそれから毎日どうしていた」と、半七は訊いた。
「それから毎日どっかへ出て行きました。ゆうべも日が暮れてから帰って来て、わたくしにお湯へ行って来いと云いますから、近所のお湯屋へ行って来ますと、その留守のあいだに旦那は着物を着かえて、小さい包みを持って、旅へ出るような支度をしていて、おれもこれから箱根まで行って、十日《とおか》ばかりすると帰って来ると云い置いて出ました」
きのうの今日であるから、お由はまだ両国の噂を聞いていないのであった。正直者の彼女は旦那のいうことを一途《いちず》に信じて、おかみさんの帰らないのをさのみ怪しんでもいなかったらしい。半七は更に訊いた。
「おかみさんは駕籠に乗って、本所のどこへ行ったか知らねえか」
「本所と聞いたばかりで、どこへ行ったか存じません」
「本所に親類か知人《しるべ》でもあるのか」
「本所からは増さんという人が時々に見えますが、家《うち》はどこにあるのか存じません」
「おかみさんの駕籠は辻倉だね」
「そうでございます」
「じゃあ、表の辻倉まで行って来てくれ」と、半七は幸次郎に云いつけた。「二日の晩にここのおかみさんを担《かつ》いで行った駕籠屋を調べて、本所のどこまで送ったか訊きただして来るのだ」
幸次郎はすぐに出て行った。その帰るのを待っている間《ひま》に、半七は家内を見まわると、寄付き、茶の間、座敷、納戸《なんど》、女中部屋の五間《いつま》で、さすがは小金でも貸して暮らしているだけに、家内はきちんと片付いて、小綺麗に住んでいるらしく見えた。台所へ出ると、柱には細長い竹の紙屑籠が掛けてあった。
「おい。この紙屑はこのごろ売ったかえ」
「屑屋さんは先月の晦日《みそか》に来て、それぎり参りません」と、お由は答えた。
半七は紙屑籠をおろして、念のために紙屑をつかみ出した。それを一々ひろげて丹念に調べているうちに、底の方から半紙の屑を発見した。半紙は幾きれにも引き裂いて丸めてあるので、その皺を伸ばして継ぎ合わせてみると、女の筆の走り書きで、書いては消し、消しては書き、どうも思うように書けないので、中途で引き裂いて紙屑籠へ押し込んでしまったらしい。したがって、文意はよく判らないが、ともかくも、「五年前のことを忘れたか――不人情な男――死んで恨みを晴らしてやる――蝋燭が物を云う――」と、これだけの事はおぼろげに推察された。
蝋燭が物を云うは、お光の口からも洩らされているので、別に新らしい発見でもなかったが、五年前のことを忘れたか――この一句は半七の胸に強く響いた。それによると、金の蝋燭に絡《から》んだ一種の秘密は五年以前の出来事であるらしい。江戸城本丸の金蔵破りは先々月の六日であるから、五年以前の出来事と無関係であるのは判り切っている。金蔵やぶりの盗賊が証拠|湮滅《いんめつ》のために、小判を地金に鋳潰して蝋燭に作り換えたものではないかと、今までひそかに見込みを付けていたのであるが、その推定は土台から引っくり返されることになった。五年以前の秘密、それが何であるかを改めて詮索しなければな
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