熱を発して苦しんだ。
こういう噂がそれからそれへと伝えられて、このごろ清水山のあたりにあらわれる女は夜鷹のたぐいではない、まったく何かの怪異に相違ないということになった。前にもいう通り、元来が一種の魔所のように恐れられている場所だけに、それが容易に諸人にも信じられて、近所の湯屋や髪結床では毎日その噂がくり返された。それに又いろいろの作り話も加わって、かの女は清水山の洞穴に年ひさしく棲む大蛇《だいじゃ》の精であるなどと、云いふらす者も出て来た。いや、大蛇ではない。堤に年ふる柳の精であるなどと、三十三間堂の浄瑠璃からでも思いついたようなことを、まざまざしく説明する者もあらわれて来た。
こんにちと違って、江戸時代に妖怪の探索などということはなかった。その妖怪がよほど特別の禍いをなさない限りは、いっさい不問に付しておくのが習いで、そのころの江戸市中には化け物が出ると云い伝えられている場所はたくさんあった。現に牛込矢来下の酒井の屋敷の横手には樅《もみ》の大樹の並木があって、そこには種々の化け物が出る。化け物がみたければ矢来の樅並木へゆけと云われたくらいであるが、誰もそれを探索に行ったという話
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