たのか知らないが、日がくれてから一人の女が、この柳原堤の清水山のあたりにあらわれるというのである。正面《まとも》にその女の顔をみた者もないが、どうも若い女であるらしい。旧暦のこの頃では夜はもう薄ら寒そうな白地の浴衣《ゆかた》をきて、手ぬぐいをかぶって、まぼろしのように姿をあらわすというだけのことで、その以上のことは何もわからないのであるが、場所が場所だけに、それだけの噂でも近所の女子供の弱い魂をおびやかすには十分であった。
「なに、夜鷹《よたか》だろう」
気の強いものは笑っていた。柳原通りの筋違から和泉橋にむかった南側には、むかしは武家屋敷が続いていたのであるが、その後に取り払われて町屋《まちや》となった。しかもその多くは床店《とこみせ》のようなもので、それらは日が暮れると店をしまって帰るので、あとは俄かにさびしくなって、人家の灯のかげもまばらになる。そのさびしいのを付け目にして、かの夜鷹という一種の淫売婦があらわれて来る。かれは手ぬぐいに顔をつつんで、あたかも幽霊のように柳の下蔭にたたずんでいるのである。それを見なれているここらの人達が、清水山付近に立ち迷う怪しい女のかげを、おそら
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