の森神社とのあいだで、神田川の方にむかった岡の裾に一つの洞穴《ほらあな》があって、その穴から絶えず清水をふき出すので、清水山という名が出来たのだそうです。それだけのことならば別に仔細はないのですが、むかしからの云いならわしで、この清水山にはいろいろの怪異《かいい》があって、迂濶にはいると禍いがあるということになっているので、長い堤のあいだでも、ここだけは誰も近寄るものがない。一体この堤の草は近所の大名屋敷や旗本屋敷で飼馬《かいば》の料に刈り取ることになっていまして、筋違から和泉橋《いずみばし》のあたりは市橋|壱岐守《いきのかみ》と富田|帯刀《たてわき》の屋敷の者が刈りに来ていたんですが、そのあいだには例の清水山があるので、どっちも恐れて鎌を入れない。つまり筋違橋と和泉橋と両方の端から刈り込んで来て、まん中の清水山だけを残しておくので、わずか三間か四間のところですけれども、それだけは上から下まで、いつも高い草が茫々と生いしげっていて、気のせいか何だか物すごいように見える。そこに一つの事件が出来《しゅったい》したんです」

 慶応初年の八月初めである。ここらで怪しい噂が立った。誰が云い出し
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