は嘘であるが、不意に大きい手があらわれて喜平と銀蔵をなぐり倒したのは事実である。喜平と茂八が得体《えたい》の知れない獣に追われたのも事実であると、幸次郎は詳しくその事情を報告した。山卯の仕事場に大きい丸太が突然倒れて来て大勢をおびやかしたことや、大工の勝次郎がそれに恐れをなして変心した事も話した。半七はだまって聞いていた。
「親分。これからどうしましょう」と、幸次郎は相談するように訊《き》いた。
「そうさなあ」と、半七はかんがえていた。
「やっぱり張り込みましょうか」
「むむ。知恵のねえやり方だが、そうするかな」
 幸次郎の耳に口をよせて何か云い聞かせると、かれはうなずいて怱々《そうそう》に別れて行った。半七はその足で山卯の店へ行って、番頭にことわって喜平を表へ呼び出した。
 たった今幸次郎に調べられて、又もやその親分の半七が来たというので、喜平は少しおちつかないような顔をして出て来たのを、半七は眼で招いて、店の横手に立てかけてある材木のかげへ連れ込んだ。
「今しがた家《うち》の若い者が来て、ひと通りお前さんを調べて行ったそうだから、同じ口を幾度も利かせねえ。そこで、わたしの訊きたいのは、番頭さんの話じゃあ、ここの家に小僧がふたり居るそうだが、なんというんですえ」
「利助に藤次郎と申します」と、喜平は答えた。「御用なら呼んでまいりましょうか」
「まあ、待ってくれ。その利助に藤次郎は幾つだね」
「どっちも同い年で十六でございます」
「どっちがおとなしいね」
「藤次郎の方が素直でおとなしゅうございます。利助の奴はいたずら者で、この夏にも一旦暇を出されたのですが、親元からあやまって来まして、また使っているようなわけでございます」
「それから大工の勝次郎というのはどんな奴だね。おまえさんと一緒に清水山へ出かける筈で、途中で臆病風に吹かれたとかいう話だが、そいつは博奕でも打つかね」
「小博奕ぐらいは打つようです。家は竜閑町《りゅうかんちょう》の駄菓子屋の裏ですが、なんでも近所の師匠のむすめに熱くなって、毎晩のように張りに行くとかいうことです。そんな奴ですから、わたしの方でも初めから味方にしようとも思っていなかったんですが、向うから頻りに乗り気になって是非一緒に出かけようというもんだから、わたしもその積りで約束すると、やっぱりいざ[#「いざ」に傍点]という時に寝がえりを打ってしまいました」
「意気地のない奴だな」
「まったく意気地のない奴ですよ」
 勝次郎の寝がえりを余ほど忌々《いまいま》しく思っていたとみえて、喜平は彼をこきおろすように云った。
「その勝次郎はきょうも来ているかえ」と、半七は訊《き》いた。
「いいえ、来ていません。このごろは石町《こくちょう》の油屋へ仕事に行っているそうです」
「そうか。じゃあ、その利助という小僧を呼んで貰おう。ただ黙って連れて来てくれ」
「はい、はい」
 喜平は引っ返して行こうとして、にわかに声を尖《とが》らせた。
「やい、この野郎」
 その声におどろいて、半七も見かえると、喜平はうしろの材木のかげから一人の小僧をひきずり出して来た。それはかのいたずら小僧であることを半七もすぐ覚った。
「親分さん。こいつが利助です。やい、手前はさっきからそこに隠れていて、なにを立ち聴きしていやあがったんだ」と、喜平はかれの胸を小突きながら半七の前に突き出した。
「まあ、小さい者をそう叱るな。喜平どん、一緒にいちゃあ調べるのに都合がわるい。ちっとあっちへ行っていてくれ」
 まだ不安らしい眼をして睨んでいる喜平を追いやって、半七はしずかに云い出した。
「だが、利助。おまえはどうも評判がよくないようだぞ。子供だといっても、もう十六だ。物事の善い悪いはわかっている筈だのに、なぜあんな悪いことをした」
 だしぬけに睨みつけられて、利助は呆気《あっけ》にとられたように相手の顔を見あげていると、半七はたたみかけて云った。
「おれは三河町の半七だ。嘘をつくと縛ってしまうぞ。おまえは先月、あの喜平と大工の勝次郎とが清水山へ行く相談をしている時に、誰にたのまれて仕事場の材木を倒した」
 さすがのいたずら小僧も俄かに顔の色かえて、唖《おし》のように黙ってしまった。
「なぜ黙っている。なぜ返事をしねえ。さあ、誰にたのまれて丸太を倒した。大きい丸太が倒れて来て、人の脳天でもぶち割ったらどうする。貴様はまぎれなしの下手人《げしゅにん》だぞ。そんな悪い事をなぜしたのだ。なんぼ貴様がいたずらでも、自分ひとりの料簡でそんなことをしたのじゃあるめえ。だれに頼まれて、そんなことをした。その頼みを白状しろ」
 利助はうつむいたままで、やはり黙っていた。
「論より証拠、自分にうしろ暗いことがないのなら、なぜそんなところに隠れて立ち聴きをしていたのだ。いくら貴様
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