大宅太郎《おおやのたろう》を気どって出かけると、蝦蟆《がま》の妖術よりも恐ろしいのに出逢って、命からがら逃げて帰るという始末。御存知かも知れませんが、瓦版まで出ましたからね」
 諸人が毎日寄りあつまる髪結床の亭主だけに、甚五郎は清水山の出来事については何から何までくわしく知っていた。勿論、例の冗談も幾らかまじっているらしかったが、その関係者の喜平、銀蔵、茂八のことから、大入道や九尾の狐の怪談まで、かれは半七に問われるままに一々説明した。
「主人や番頭に膏《あぶら》をとられたので、山卯の組はみんな引っ込んでしまったんですが、世間は広いもので、また新手が出て来ましたよ」
「今度は誰が出て来たんだ」と、半七はきいた。
「今度のは飯田|町《まち》の池崎さまの中間たちです」
 池崎弥五郎は麹町の飯田町に屋敷をかまえている千二百石の旗本である。その中間のひとりがこの八月に清水山の下を通っている白い浴衣の女にからかって、青鬼のような顔をみせられて、気が遠くなって倒れた。その当時にも大部屋の中間どもが清水山探検に押し出そうとしたのであるが、余り騒ぎ立てるのもよくあるまいという部屋頭の意見で、一旦はそのままに鎮まったが、大入道や九尾の狐の噂がだんだんに高くなったので、彼等はもうたまらなくなった。かれらは五人連れで、きょうの午前《ひるまえ》にここへ押し出して来た。
「そりゃあちっとも知らなかった」と、半七はその話に耳を傾けた。「そうして、どうしたえ」
「なにしろ大部屋の連中ですからね、大きな犬を一匹連れて来たんです。人を化かす古狐がこの山に棲んでいるに相違ないから、犬を入れて狐狩をするというわけで……」
「そこで狐が出たかえ」
「狐は出ませんが、妙なものが出ましたよ」
 甚五郎は顔をしかめてみせた。

     四

 自分がこれから手を着けようとするところへ、素人がむやみに踏み込んで荒らされては困ると、半七は肚《はら》のなかで舌打ちしながら聞いていたのであるが、池崎の屋敷の中間どもが何か妙なものを発見したという甚五郎の報告は、俄かにかれの興味をそそった。
「妙なものとはなんだえ。まさか人間の首でもあるめえ」
「首じゃあありませんが、まんざら首に縁のねえこともねえんで……」と、甚五郎は笑いながら答えた。「わたしは見たわけじゃありませんが、なんでも白木の箱が出たそうですよ。その犬がくわえ出して来たんです。箱は雨露《あめつゆ》にさらされているが、そんな古いものじゃ無さそうだということでした」
「犬が啣《くわ》えて来るくらいじゃあ大きなものではあるめえね」と、半七はきいた。
「それでも長さは小一尺ほどもある細長い箱で、はて何だろうとすぐに打ち毀《こわ》してみると、なかには藁人形……。それはまあ有りそうなことですが、ねえ、親分、凄いじゃあありませんか。藁人形には小さい蛇をまきつけて、その蛇のからだを太い竹釘で人形に打ちつけてある。蛇はまだ死なねえとみえて、びくびく動いている。さすがの中間共もわあっ[#「わあっ」に傍点]と云って、おもわずその箱をほうり出したそうですよ。それでも気の強い奴があって、よくよくあらためて見ると、また驚いた。というのは、蛇ばかりでなく、人形の腹には壁虎《やもり》が一匹やっぱり釘づけになって生きている。よっぽど執念ぶかい奴の仕業《しわざ》に相違ありませんね」
「それから、その箱をどうした」
「中間たちも薄気味悪くなったんでしょう。こんなものはしょうがねえというんで、川へほうり込んでしまったそうですよ」
 半七はまた舌打ちした。その怪しい箱が何かの手がかりになろうものを、神田川へほうり込んでしまわれてはどうにもならない。それだから素人には困ると思いながら、それからどうしたと更にたずねると、中間どもはその上にまだ何かの獲物があるかと思って、再び犬を追い込んでみたが、犬は空しく引っ返して来たので、もう仕方がないとあきらめたらしく、そのまま引き揚げてしまったとのことであった。
「じゃあ、誰もはいっては見なかったんだな」と、半七は念を押した。
「誰もはいった者はなかったようです。なんのかのと云っても、やっぱり気味がよくねえんでしょう」と、甚五郎はまた笑った。
 かれらに踏み荒らされないのが、せめてもの仕合わせであったと半七は思った。甚五郎にわかれて、半七はこれからともかくも山卯の材木店へ行ってみようかと、岩井町の方へふみ出すと、ちょうど幸次郎の来るのに出逢った。かれは親分の顔を見て駈けて来た。
「とりあえず山卯へ行って、発頭人の喜平を調べて来ました。それから建具屋の茂八も一と通りは調べましたが、どうもこれという手がかりもねえので困りました。木挽の方は善八が出かけて行きましたから、なにかいい種をあげて来るかも知れません」
 大入道や九尾のきつね
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