があらわれた。不意をくらって、ふたりは思わずためらっていると、その黒い影は静かに動き出した。それが彼《か》の女であるか、あるいは他人であるかと、喜平も銀蔵も息を殺してうかがっていた。
二
銀蔵は勿論、発頭人《ほっとうにん》の喜平とても、妖怪の正体を見とどけに出かけて来たものの、さてその妖怪に出逢ったらばどうするか。単にそのゆくえを突きとめるに止《とど》めてて置くのか、あるいはその正体を見あらわす必要上、腕ずくでもそれを取り押えるつもりか、それらについては最初からきまった覚悟をもっているのではなかった。勿論、その妖怪と闘うような武器も用意して来なかったのである。かれらはやはりほんとうの岩見重太郎や宮本無三四ではなかった。それでも一種の好奇心に駆られて、ふたりは今ここに突然あらわれた黒い影のあとをそっと尾《つ》けてゆくと、その影は往来のまん中でしばらく立ちどまった。
「白い浴衣《ゆかた》を着ていねえじゃねえか」と、銀蔵は小声でささやいた。
「そりゃあ九月だもの」と、喜平は云った。
「化け物なら時候によって着物を着換えやしめえ。こりゃあ違うだろう」と、銀蔵はまた云った。
「なにしろ、もうちっと正体を見とどけよう」
ふたりは薄月のひかりを頼りに、その黒い影のいかに動くかをうかがっていると、それは頬かむりをしている男であるらしいので、銀蔵はまた失望した。
「おい、男だぜ」
「まあ、いいから黙っていろ」
喜平は飽くまでも熱心にうかがっていると、その影は往来のまん中に立ちどまったかと思うと、又しずかに歩き出して、かの清水山の堤の裾に近寄った。それ見ろと、喜平は銀蔵にささやいて、猶《なお》もぬき足をしてそのあとを尾《つ》けようとする時、突然にどこからか大きな手のようなものが現われて、ふたりの横っ面を眼がくらむほどに強く引っぱたいたので、あっ[#「あっ」に傍点]と叫んで銀蔵は倒れた。喜平は顔をかかえて立ちすくんだ。やがて気がついて見まわすと、かの黒い影はどこへか消えていた。大きな手の持ち主は勿論わからなかった。
「畜生」と、ふたりは同時に罵《ののし》った。
しかしこれで妖怪の正体は大抵わかったように思われた。黒い影は妖怪ではない。普通の人間であるらしい。なにかの秘密があって、その一人が清水山へ忍んで行くところを、喜平らが見つけてそのあとをつけたので、ほかの仲間が
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