出して来ると、やはり一応は念入りに調べてみなければならないので、半七は筋違《すじかい》から和泉橋の方をさして堤づたいにぶらぶらたどってゆくと、長い堤の果てから果てまでが二百何十本とかいう一列の柳は、このごろの霜や風にその葉をふるい尽くして、骨ばかりに痩せた姿をさびしく晒《さら》していた。清水山に近い大きい本には、一羽の烏《からす》が寒そうに鳴いているのを、半七は立ちどまって見あげた。
 金太夫も云う通り、山というのは名ばかりで、足の長いものならばまたぎ越えられるぐらいの小さい高地で、全体の地坪から見ても三四十坪を過ぎまいと思われるのであるが、昔から奇怪な伝説の付き纏っているところだけに、生い茂った灌木のあいだには高い枯れ草がおおいかかって、どこから吹き寄せたとも知れない落葉がまたその上をうずめていた。気のせいか何となく物凄い場所ではあるが、これが山の手の奥とか、下町《したまち》でも場末のさびしい場所ともあることか、神田の柳原の大通りにむかっていて、うしろには神田川の流れを控えている。夜はともあれ、昼は往来の人影は絶えず、水にも上《のぼ》り下《くだ》りの船の浮かんでいない時はない。その繁華な土地のまん中に小さく盛り上がっているこの山が、一体どんな秘密をつつんでいるのか。この山にふみ込むと一種の怪異に出逢うなどと、一体誰が云い出したのか。まったくそんな例があるのか。半七は立ちどまったままで暫く考えていると、うしろから不意に声をかける者があった。
「親分さん。どちらへ」
 気がついて見返ると、それは此の堤下に髪結床《かみゆいどこ》の店を出している甚五郎という男であった。甚五郎はもう四十を二つ三つも越えたらしい、顔に薄あばたのある男で、誰に対しても遠慮なしに冗談をいう愛嬌者として知られていた。その冗談が売り物になって、かれの店はいつも繁昌していた。
「やあ、親方。寒いね」と、半七も挨拶した。
「寒いにも何にも……。わたしはこの冬になって、もう三度も風邪《かぜ》をひきました。この分じゃあ今年は江戸から越後へ出かせぎに行くようになるかも知れませんぜ。おそろしい」
「世のなかは逆になったからな。やがてそうなるかも知れねえ」と、半七も笑った。「いや、恐ろしいといえば、この頃この山が物騒だというじゃあねえか」
「まったくおお物騒。馬鹿に世間がそうぞうしいので驚きますよ。山卯の若い衆が
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