。また丸太が倒れて来ると怖いからな」と、喜平は皮肉らしく云った。
勝次郎は黙っていた。
喜平はもう彼を見かぎっていた。一時の付け元気で一緒に行こうなどと云ったものの、かれは確かに中途で変心したに相違ない。そんな弱虫はこっちでも頼まないと、喜平は腹の底でかれの臆病をあざけり笑っていた。その日のひる過ぎにかの木挽の銀蔵が来たので、喜平はもう一度かれを道連れにしようと誘いかけてみたが、銀蔵もなんだかあいまいな返事をしているばかりで、いつの間にかふい[#「ふい」に傍点]と立ち去ってしまった。
銀蔵といい、勝次郎といい、所詮《しょせん》自分の道連れにはなりそうもないので、喜平も一旦はあきらめたが、まだどうもほんとうに思い切れなかった。しかし自分ひとりで踏み込むのは何分にも不安であるのと、もう一つには、なにかの場合に自分ひとりの云うことでは他人《ひと》が信用してくれない虞《おそ》れがあるのとで、どうしても証人として誰かを連れてゆかねばならない。その味方を見つけ出すのに喜平は苦しんだ。
「誰かないかな」
かれは強情にかんがえた末に、同町内の和泉という建具屋の若い職人を誘い出すことにした。職人は茂八といって、ことしの夏は根津神社の境内まで素人相撲をとりに行った男である。かれは喜平の相談をうけて、一も二もなく承知した。
「そういうことなら早くおれに相談してくれればいいのに……。実はおれもやってみようかと思っていたところだ」
案外に話が早く纏まって、二人が柳原へ出かけたのは、最初の晩から四日目の暮れ六ツ過ぎであったが、このごろの日足《ひあし》はめっきり詰まったので、あたりはもう真っ暗な夜の景色になっていた。今夜は二人とも武器を用意して、茂八は商売用の小さい鑿《のみ》をふところに呑んでいた。喜平も小刀をかくし持っていた。
宵闇ではあったが、今夜の大空には無数の星がきらめいていた。その星あかりの下に、この頃はもう散りはじめた堤の柳が夜風に乱れなびいているのも、素袷《すあわせ》のふたりを肌寒くさせた。五ツ(午後八時)を過ぎ、四ツ(午後十時)を過ぎても、今夜はそこに何の不思議も見いださないので、かれらは少し退屈して来た。
「どうだい、いっそ山のなかへ這入ってみようか」と、茂八は云い出した。
「はいろうか」
ふたりは思い切って、この暗い夜の清水山へ踏み込むことになった。もとより深い
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