ったのである。売り手もさすがにびっくりして、それでは違うと首をふってみせると、買い手の方ではまだ不承知だと思ったらしい。その一両をなげ出して、十本の葱を引っかかえて逃げ出した。売り手はいよいよおどろいて、違う違うと叫びながら追ってゆくと、近所の者がそれを聞きつけて駈けあつまって来たので、買い手はいよいよ狼狽して、一生懸命に逃げ出した。水兵のひとりは浅い溝川《どぶかわ》へ滑り落ちて、泥だらけになって這いまわって逃げた。葱十本を一両に売って、しかも買い手が命からがら逃げてゆくなどということは、ここらでも前代未聞の椿事《ちんじ》と噂された。
 こんな話をそれからそれへと聴かされて、半七も松吉もこみ上げて来る笑いを止めることが出来なかった。話す人も聴く人もしきりに笑いながら猪口《ちょこ》の遣り取りをしていると、三五郎はやがて少しまじめになって云い出した。
「だが、そんなおかしい話ばかりでなく、いろいろのうるさいこともありますよ。なにしろ異人ばかりでなく、日本でも諸国からいろいろの人間が寄りあつまって来ていますからね。どうも人気《じんき》が殺伐で、喧嘩をする奴がある、悪いことをする奴がある。それ
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