かには二、三の書記官や通辞《つうじ》があるばかりで、アメリカは麻布の善福寺、フランスは三田の済海寺、オランダは伊皿子の長応寺、プロシャは赤羽の接遇所、ロシアは三田の大中寺に、公使館または領事館を置いてあるが、これらは幕府に届け出でのあるもので、そこに住む者の姓名もみな判っている。そのなかの一人が首を取られたとすれば、すぐにも知れる筈である。かれらの方でも黙っている筈がない。かのヒュースケンの暗討《やみう》ち一件をみても判ったことで、彼等からは幕府にむかって厳重の掛け合いを持ち込んでくるに相違ない。それが今に至るまでなんの音沙汰もないのをみれば、その首の持ち主が江戸在住のものでないことは容易に想像された。
「それじゃあ横浜《はま》かな」
 半七は自分の意見をのべて、奉行所の許可をうけて、その月の二十一日に江戸を出発することになったので、お粂は兄嫁を花見に誘い出すどころではなかった。却《かえ》って自分が神田三河町の兄の家へ見送りに来なければならなくなった。横浜までわずかに七里と云っても、その頃ではやはり一種の旅であった。
「兄さん。御機嫌よろしゅう。途中も気をつけてね」
 その声をうしろに
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