をおののかせた。「あいつはわたくしの仇《かたき》でございます」
「その仇のわけを聞こうじゃねえか。仇なら殺しても構わねえ。一体それは親の仇か、主人の仇か、おめえの仇か」
「主人のかたきで、わたくしにも仇でございます」
 かれの眼からは止め度もなしに涙が流れ落ちた。お鉄はいよいよ興奮したように云った。
「もうどうしても勘弁がならなくなって、いっそ殺してしまおうと思いました。実はこのあいだの晩も剃刀を持って両国橋の上に待っていたのでございます」
「そうか」と、半七も溜息をついた。「まさかそんなこととは気がつかなかった。そこでその主人というのは加賀屋のことかえ。それともお前が付いて来た若いおかみさんのことかえ」
 お鉄はまた黙ってしまった。くずれかかった銀杏返《いちょうがえ》しの鬢の毛をかすかにふるわせていた。
「それを話す約束じゃあねえか」と、半七はほほえみながら云った。「お前もまた、それを話す積りでわざわざ来たんだろうじゃあねえか。今さら唖《おし》になってしまわれちゃあ困る。え、その仇というのは若いおかみさんの仇かえ」
「左様でございます」と、お鉄は洟《はな》をつまらせながら答えた。「い
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