ばん》も教えていたが、人物も手堅く、教授もなかなか親切であるというので、親たちのあいだには評判がよかった。しかし弟子のしつけ方がすこぶる厳しい方で、かの寺小屋の芝居でもみる涎《よだれ》くりのように、水を持って立たされる手習い子が毎日幾人もあった。少し怠けると、すぐ大叱言《おおこごと》のかみなりが頭の上に落ちかかって来るので、いわゆる「雷師匠」として弟子たちにひどく恐れられていた。
 手習い子は手ならい草紙《そうし》で習って、ときどきに清書草紙に書くのであるが、そのなかでも正月の書初《かきぞ》めと、七月の七夕祭りとが、一年に二度の大清書《おおぜいしょ》というので、正月には別に半紙にかいて、稽古場の鴨居《かもい》に貼りつける。大きい子どもは唐紙《とうし》や白紙に書くのもある。七夕には五色のいろ紙に書いて笹竹に下げる。これは普通の色紙《しきし》でなく、その時節にかぎって市中の紙屋で売っている薄い短尺《たんざく》型の廉《やす》い紙きれであるが、この時にも大きい子供はほんとうの色紙や短尺に書くのもある。七月に入ると、手習い子はみな下清書をはじめて、前日の六日にいよいよ其の大清書にかかるのである。
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