の姉娘のお紋をお直の兄の藤太郎の嫁にくれるというような話が、かつて双方の親たちのあいだに起った事もあったが、別にたしかに取り極めた約束というでもなくて、まずそのままになっているうちに、甲州屋では今度京橋の同業者の店から嫁を貰う相談がまとまって、この九月にはいよいよ婚礼をすることになった。それを洩れ聞いて、倉田屋ではひどく怒っているらしい。勿論、許嫁《いいなずけ》というわけでもないので、表向きに苦情を持ち込んでくることは出来なかったが、内心では甲州屋を怨んでいるらしい。殊にひがみ根性の強い倉田屋の女房は、平生《へいぜい》あれほど懇意にしていながら、あまりに人を踏みつけにした仕方であると云って非常にくやしがっていることは、出入りの女髪結《おんなかみゆい》の口からも聞いている。現にこのあいだ、お広が倉田屋へ買物に行った時にも、女房は口に針を含んでいるような忌味《いやみ》を云った。それらの事情から考えると、倉田屋ではそれを根に持って、藤太郎の妹のお直に対して何かの復讐を加えたのではあるまいかというのであった。
「ふうむ、それは初めて聴いた」と、半七はうなずいた。「だが、唯それだけのことで、ほか
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