まえが俄かに昼のようにあかるくなって、そこに落雷したことを知った時に、かれは誰よりも先にその場所へかけ付けると、まず彼女の眼にはいったのは、一匹の怪しい獣《けもの》がそこらを駈けまわっていたことであった。獣は稲妻のように忽ちその影を消してしまって、あとに残されたのは若い男と女とが正体もなく倒れている姿であった。おかんは声をあげて、家《うち》じゅうの人を呼びあつめた。
 おかんのほかに誰もその正体を見とどけた者はなかったが、尾張屋の人々もその雷獣の話を信じた。近所の人々も怪しまなかった。雷獣の噂はそれからそれへと伝えられたが、町《ちょう》役人たちもそれを疑わなかった。雷獣のゆくえは勿論わからなかった。
 お朝の二七日《にしちにち》は七月七日であったが、その日はあたかも七夕《たなばた》の夜にあたるというので、六日の逮夜《たいや》に尾張屋の主人喜左衛門は親類共と寺まいりに行った。重吉も一緒に行った。かれはお朝と運命を倶《とも》にすべくして無事に助かった幸運の男であった。参詣がすんで、七ツ(午後四時)過ぎに寺を出る頃から、空の色が俄かにあやしく黒ずんで来たので、この町内へはいる頃から大粒の雨が
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