そのなかで、浅草|三好町《みよしちょう》の雷が尾張屋という米屋の蔵前に落ちて、お朝という今年十九の娘を殺した。重吉という若い男は一旦気絶したが、これは医師の手当てをうけて蘇生した。変死のうちでも、雷死は検視をしないことになっているので、お朝の死骸はあくる日のゆう方、今戸《いまど》の菩提寺《ぼだいじ》へ送られて式《かた》のごとく葬られた。
 落雷で震死するのはさのみ珍らしいことでもないのは、それに対して検視の役人が出張しないのをみても判る。この事件も単に不幸なる娘の死にとどまって、何事もなく済んだのであるが、尾張屋の落雷に就いてこんな噂が伝えられた。
「あの雷の落ちたときには、大きい雷獣が駈けまわっていたそうだ」
 落雷の時には雷獣が一緒に落ちて来て、襖障子や柱などを掻き破ってゆくということは、その時代の人々に信じられていた。その雷獣を見たのはおかん[#「かん」に傍点]という下女であった。かれは宇都宮在の生まれで、子供のときから日光附近の大雷に馴れているので、ほかの人々ほどには雷を恐れなかったらしい。勿論、落雷の刹那には、両手で自分の耳をおさえて、女中部屋にうつ伏していたのであるが、蔵の
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