りに重吉が承知したとしても、世間の手前、喜左衛門が承知しないであろう。こう思うと、かれは又新しい苦労をしなければならなかった。
 そのうちに其の話はだんだん進行するらしい形跡がみえて、二七日の前日におかんが松倉町の三河屋へ使にゆくと、そこでもそんな噂を聞かされたので、彼女はもう落ち着いていられなくなった。寺まいりの当日、主人や重吉が今戸へ行った留守に、おかんはいろいろに思案した。かれはとうとう思案をきめて、重吉の帰りを待った。
 重吉らが帰ってくる頃から又もや雷雨になった。この出来事におびえて、家内の者どもが縮みあがっている隙をみて、おかんは重吉を蔵のまえに連れ込んだ。かれは男にむかって、相続人のきまらないうちに自分と一緒に逃げてくれと迫ったが、重吉は肯《き》かなかった。そればかりでなく、自分はお朝の菩提のために一生|独身《ひとりみ》でいるつもりであるから、おまえも思い切ってくれと云い出したので、おかんは狂気のようになって、男の変心を責めた。そうして、もし自分のいうことを肯いてくれなければ、お朝が毒薬をのんだ秘密を主人に訴えると嚇《おど》したが、男はやはり動かなかった。訴えるならば訴え
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