なったわけです。問題の雷獣は、おかんの白状によると、最初の時にはほんとうに見たというのです。二度目の時にはそれから思いついて、重吉の顔や手さきを掻きむしったのだといいます。勿論、善いことじゃありませんが、かんがえてみると可哀そうで、おかんがいよいよ死罪と聞いたときには、私もなんだか忌《いや》な心持がしましたよ」
「可哀そうも可哀そうですが、女というものは恐ろしいもんですね」
「まったく恐ろしい。あなたなんぞは若いから気をおつけなさい。いや、恐ろしいの何のと云っても、今のおかんという女なんぞは、そこに自然と憐れみも出ますけれど、なかには、まだ肩揚げもおりない癖に、ずいぶん生《い》けっ太《ぷと》い奴がありますからね。まあ、お聴きなさい、こんな奴もありますよ」
 云いかけて老人は笑いながら私の顔を見た。
「あなたは甘酒はどうです」
「子供のときに飲んだきりですが……」と、わたしも笑った。
「あれは江戸の夏のものですよ。固練《かたね》りのいいのを貰ったのがあります。息つぎに一杯あっためさせますから、あなたもお附き合いなさい」
「久し振りで御馳走になりましょう」

     三

 あま酒で元気をつけて、半七老人は団扇《うちわ》の手を働かせながら又話し出した。
「あれはたしか文久三年とおぼえています。なんでも六月の末でした。新宿の新屋敷……と云っても、今の若い方々は御存知ないかも知れませんが、今日《こんにち》の千駄ヶ谷の一部を俗に新屋敷と唱えまして、新屋敷六軒町、黒鍬町《くろくわちょう》、仲町通りなどという町名がありました。いつの時代にか新らしい屋敷町として開かれたので、新屋敷という名が出来たのでしょう。その辺には大名の下屋敷、旗本屋敷、そのほかにも小さい御家人《ごけにん》の屋敷がたくさんありまして、そのあいだには町屋《まちや》もまじっていましたが、一方には田や畑が広くつづいていて、いかにも場末らしい寂しいところでした。
 前にも申す通り、六月末の夕方、その仲町通りの空《あき》屋敷の塀外に人立ちがした。というのは、そこに不思議なものを見付けたからで、何十匹という蛇がからみ合ってとぐろをまいて、地面から小一尺もうず高く盛りあがっている。勿論、ここらで蛇や蛙をみるのは珍らしくないので、一匹や二匹|蜿《のた》くっているのならば、誰もそのままに見過ごしてしまうんですが、何分にもたくさ
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