頃まで雪が降ります」と、澹山は手あぶり火鉢を彼女のまえに押しやりながら訊《き》いた。
「来月のはじめには歇《や》みましょう」と、おげんは茶をいれながら答えた。「もう十日か半月の御辛抱でござります。ここらで雪のやむ頃は、お江戸は花盛りでござりましょう」
 澹山は江戸の春が恋しくなった。去年の五月に江戸を発《た》って、やがて小一年になる。雪のやむのを待って早々に出発しても、上野や向島の今年の花はもう見られまいと思った。
 その心のうちを読むように、おげんはまた云った。
「雪がやむと、すぐにお発ちになるのでござりますか」
 うっかりした返事は出来ないので、澹山はあいまいに答えた。
「いや、まだ確かに決めていません。もう少しこちらに御厄介になりますか、それとも松島、塩釜の方へでも見物に行きますか」
「ほんとうでござりますか」と、おげんはまだ疑うように相手の顔色をうかがっていた。「松島塩釜はわたくしも一度見物に参ったことがござります。もし先生が御見物ならば、わたくしに御案内させてくださりませ」
 どこまでも附き纒おうとする彼女の執念におどろきながら、澹山はなにげなく答えた。
「自然そういうことに
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