の顔に肖《に》てくるので、彼は自分ながら怪しく思った。幾度かき直しても絵絹の上にはマリアの顔が、ありありと浮き出して来るので、彼は自分もいつの間にか切支丹の魔法に囚《とら》われてしまったのではないかと疑った。そうして、千之丞からいくら催促をうけても当分は絵筆を持たないことに決めて、かれは雪の晴れ間を待って城下を毎日出あるいた。伝兵衛のあつめてくれた材料が彼に非常の便利をあたえたので、探索は思いのほかに容易《たやす》くはかどって、小さいお家騒動の秘密は伝兵衛の報告と違いないことが確かめられた。澹山は一々それを薄い雁皮紙《がんぴし》に細かく書きとめて、着物の襟や帯の芯《しん》のなかに封じ込んだ。
秘密の絵像を描いているあいだは、父からも厳しく云い渡されていたのであろう。おげんも余りうるさく寄り付いて来なかったが、それがいよいよ出来あがると、彼女は先夜の約束通りにあなたのお弟子にしてくれと強請《せが》んで来た。澹山はよんどころなしに二つ三つの手本をかいてやると、彼女は熱心に稽古をつづけて、あまり器用らしくもない彼女が案外めきめきと上達するのに、師匠も少しく驚かされた。しかしその熱心の裏には何かの意味が忍んでいるらしくも想像されるので、澹山はなんだかいじらしいような暗い心持にもなった。
江戸の旅絵師は奥州の春をむかえて、今年ももう二月になったが、ここらの雪はまだちっとも解けないで、うす暗い寒い日が毎日つづいた。今夜も細かい雪がさらさらと灰のように降っていた。
「お寒うござります」
おげんは菓子鉢を持って、いつものように離れ座敷へ顔を出した。うるさい、いじらしいを通り越して、この頃の澹山は彼女の顔をみるのが何だか恐ろしいようにも思われた。小賢《こざか》しい江戸の女を見馴れた澹山の眼には、何だかぼんやりしたような薄鈍《うすのろ》い女にみえながら、邪宗門の血を引いているだけに、強情らしい執念深そうな、この田舎娘に飽くまでも魅《み》こまれたら、結局はどうしても彼女の虜《とりこ》になるのではないかと、自分ながらも一種の不安を感じて来たので、努めて彼女に接近するのを避けているのであるが、彼女にもおそらく自分の秘密を知られているのであろうという不安と、今では仮りにも師弟となっている関係とで、この頃いよいよ摺り寄ってくる彼女をどうしても払いのけることが出来なかった。
「ここらではいつ
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