ある。半七がいつもよりも少し朝寝をして、楊枝《ようじ》をつかいながら縁側へ出ると、となりの庭の柘榴《ざくろ》の花があかく濡れていた。外では稗蒔《ひえまき》を売る声がきこえた。
「ああ、きょうも降るかな」
鬱陶《うっとう》しそうに薄暗い空をみあげていると、表の格子をがたぴしと明けて、幸次郎があわただしく飛び込んで来た。
「親分。起きましたかえ」
「いま起きたところだ。何かあったか」
潮干狩の一件以来、幸次郎は半七に催促されるのが苦しいので、築地河岸の船頭はいうまでもなく、芝浦から柳橋、神田川あたりの船宿をまわって、絶えず何かの手がかりを見つけ出そうと焦《あせ》っているうちに、けさ偶然にこんなことを聞き出したのである。しかもそれはゆうべのことで、神田川の網船屋の船頭の千八というのがおなじみの客をのせて隅田川の上《かみ》の方へ夜網に出た。客は本郷の湯島に屋敷をかまえている市瀬三四郎という旗本の隠居であった。あずま橋下からだんだんに綾瀬の方までのぼって行ったのは夜も四ツ(午後十時)をすぎた頃で、雨もひとしきり小歇《こや》みになった。もちろん濡れる覚悟であったから、客も船頭も蓑笠《みのかさ》
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