いったのは芝源助|町《ちょう》の下総屋《しもうさや》という呉服屋の番頭吉助で、かれは店者《たなもの》の習いとして夜なかに早帰りをしなければならなかった。いつもの事であるから相方《あいかた》のお駒も心得ていて、中引け前にはきっと起して帰すことになっていたのであるが、その晩はお駒も少し酔っていた。吉助も酔って寝込んでしまった。吉助は夜なかにふと眼をさまして、喉が渇《かわ》くままに枕もとの水を飲んで、それから煙草を一服すったが、二階じゅうはしん[#「しん」に傍点]と寝静まって夜はもう余ほど更けているらしい。これは寝すごしたと慌てて起き直ると、いつも自分を起してくれるはずのお駒は正体もなく眠っていた。
「おい、お駒。早く駕籠を呼ばせてくれ」
 云いながら煙管《きせる》を煙草盆の灰吹きでぽん[#「ぽん」に傍点]と叩くと、その途端に彼は枕もとに小さい物の影が忍んでいるのを発見した。うす暗い行燈《あんどう》の光りでよく視ると、それは黄いろい張子の虎で、お駒の他愛ない寝顔を見つめているように短い四足《よつあし》をそろえて行儀よく立っていた。宵にこんな物はなかった筈だがと思いながら、彼はそれを手に取って
前へ 次へ
全36ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング